icon SPRING×SPRING * 2

日時: 2007/08/30 21:45
名前: クリス ◆nllHz3f5AE
参照: http://crystals.blog.shinobi.jp/
情報: tph1adg051.tky.mesh.ad.jp

 〜前書き〜

全てが単調な現象である世で、奇跡とは如何程の言葉だろうか。
どんなに奇跡と言い張っても、それは偶然に現象が重なっただけの世で。

それでも奇跡と呼べるのは、その現象に人の願いが託されるからなのだろう。
我が身を削る思いでそれを願う時、現象は奇跡となる。
だからこそ、奇跡は美しいものなのだ。

ならば、簡単に叶う願いを、どうして奇跡と呼べようか。
奇跡と偶然の区別のつかない人間に、その《奇跡の花》へ手を触れる資格は……無い。



クリスの新たなる小説、SPRING×SPRINGの世界へようこそ。


≪作者の呟き≫

キャラの設定をhtmファイルに写し中、ブログで随時更新しています。
http://crystals.blog.shinobi.jp/
この第二編を現スレッド中に完結させたいため、読者の皆様は感想をブログのコメント欄にお願いします。


☆注意事項☆

警告については廃止しました。 常 識 を 守って下さいね。

また、クリスは常にアドバイスや辛口感想を受け入れています。
その他の感想も、勿論喜んでお待ちしとりますが。
感想を貰えると正直、更新に気合いが入るゆえ、皆様ぜひとも声を聞かせて下さい。

以上。


☆目次☆


○登場人物・世界観・専門用語・戦闘技能集 >>1

○プロローグ >>2

○【一、紅の幕開け】

●第一章ハルとトレインと奇跡の花
 〔 T >>4   U >>12 〕
●第二章導く者、導かれてしまった者
 〔 T >>14  U >>18  V >>21 〕
●第三章アリバーと十四人の盗賊
 〔 T >>24  U >>26  V >>29  W >>30 〕
●第四章The Blood Man−血塗れた男
 〔 T >>35  U >>36  V >>39  W >>40  X >>42  Y >>45  Z >>46 〕
●終章始まりの一歩 >>47
●後書き >>48

○【二、蒼の弾丸】

●序章最強の称号 >>53
●第一章その名はアーノルド
 〔 T >>56  U >>60  V >>63 〕
●第二章ナードニック捜査線=@
 〔 T >>65  U >>67  V >>68  W >>70  X >>71 〕
●第三章追跡者大行進
 〔 T >>77  U >>81  V >>82  W >>83  X >>84  Y >>85 〕
●第四章Destroyer Blue−飛び交う蒼の凶弾
 〔 T >>86  U >>87  V >>88  〜 〕
●第五章Silver Silvia Silhouette−銀の月夜に咲く勇気
●終章夜逃げ

○短編

●初夏の風鈴 >>72


☆クリスのその他の作品案内☆

同サイトのポケモンコンテンツで書いている小説
「Reviver Soul」はこちら↓↓
http://bbs.capture-room.com/story/read.cgi?mode=view&no=763
メンテ

Page: [1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9]

SPRING×SPRING A( No.83 )

日時: 2006/08/13 07:59
名前: クリス
参照: http://crystals.blog.shinobi.jp/
情報: tph1aat025.tky.mesh.ad.jp

 ―4―



「……そうか。やはりそうなのか……俄かに信じ難い話なのだが」

 いよいよハルが正真正銘である事を確認したらしい。
 男は楽しそうに、ハルの小さな体を眺めるようにして見下ろした。
 ハルは背筋に寒さを感じつつ、男の視線を跳ね返すようにして睨み返す。

「アンタが、《青い妙薬》の責任者なのね」
「……前言撤回するような馬鹿な真似はあるまい」
「二年前の事件、忘れたとは言わせないわよ」
「……それについては確かに、不関与だと言えば嘘になる」

 男はどうやらハルの問いを素直に肯定はしないらしい。
 回りくどい言い方に、少しハルは苛立った。

「この場所でこの対面。単なる偶然とは、とても思えないんだけど」

 言うと、男は突然に低く笑った。
 何がおかしいのか。知らない裏で何かが動いているのか。無粋な表情をよそおって、ハルは展開を噛み締める。
 だが男の答えは、吟味するには味が濃すぎた。

「ク、ハ……計算し尽くされた盤上の究極を凌駕し、生み出された甘美なるこの世の、結末へ向かう予定調和。……やはりチェスなど比べ物にもならん」

 こいつ、おかしい。ハルは心底思う。
 トレインやチンピラ兄弟のような馬鹿ではなく、思考が極まり過ぎている異常。
 前者も始末が悪いが、後者は後者で相当に厄介だ。

「想像通りに頭がキレてるみたいね」
「……ふむ、それは褒め言葉として受け取っておこうではないか」

 自ら烙印を歓迎する言葉に、ハルはげんなりとした。
 こんな奴と世間話してたらこちらが毒されそう。
 ハルは本題に移る事にした。

「《青い妙薬》のチーフが、よりによってあたしなんかに、どんなご挨拶?」
「まさか。……用も無い人間をからかうほど低俗な趣味はしていない」

 趣味なんか無視。
 そう決め込んで、ハルは敢えて黙り相手に促す。
 沈黙が訪れた場に、男はふむと一声漏らし、用件を要求してると思い至った。

「……勘付いているだろう、《青い妙薬》の責任者たる私が直々に出向いているのだぞ」
「まさかとは思うけど――」

 ハルは耳を疑うように言った。
 末端の構成員を使って挨拶するわけでもなく、刺客を送って始末するわけでもなく、責任者が出向いたというまさかとは。


「……私は知っていると言った筈だ。……奇跡の花に最も近い植物学者の片割れ。……否、この世で最もと銘打っても過言ではあるまい」


 男の語りは、鈍くハルに突き刺さった。
 心音が早くなって止まらない。
 奴は組織《青い妙薬》の責任者。ならば必ず知っている。

 ハルの二年前の傷の理由と、その経緯を。

「……無名と言えど、血筋と魂は天性にて天職。……そのような才能が未だに日の目を見ていないのは、私としても実に惜しい」

 幸い、《真紅の命》を発見している事は知られていないのか。
 ハルは暴れだしそうな感情を押し殺し、言動一つ一つを正確に処理して行く。
 終わらせるにはまだ早い。ハルは言葉をつなげるために口を開く。

「あたしが、腐れ外道の仲間になるとでも思っていたの?」
「いいや、思わん。……むしろそう言うと思っていた」

 相変わらず、言い回しが勘に障る。
 ハルが毒舌に言い返そうとし、


「……ライラックに逢いたいか?」


 男の先回りした一言は、ハルの呼吸すら止めてしまった。
 らいらっく? と小さく細く掠れたような声でハルが復唱する。

「……二年もあれば掴んでいておかしくないのは承知。……例えそうでなくとも、私の部署に来ればライラックに逢える事を私は約束する」

 ハルの瞳が怯えるように揺れ、息も本当にし辛くなっていた。
 男は反応に大きな手応えを感じたようだが、それすらハルは気付いていない。
 ハルは人間であり少女だった。その言葉に惑わずにはいられなかった。
 何せ。ライラックは。

「……証拠が欲しいか? ……ライラックは喜んで何でも差し出すだろうな。おまえが生きてると証明さえすれば」

 ハルは自分の足元がぐらついているような感覚に襲われた。
 奴の言ってる事を頭から鵜呑みにはできない。
 それでも、奇跡にすがるような可能性でもし再会できるのだとしたら。
 過去の自分が正直に欲している。それに今の自分が呑み込まれて行き、ごめんねと心の隅に言葉をこぼし、

「全くもって話にならないわね」

 ぴしゃりと己を一喝するごとく叩き付けた。
 ハルは目眩を振り切るようにして、強く男を睨み直す。
 男は、多少は何かを感じたのか、軽く瞬きしている。

「餌をちらつかせて私を釣ろうなんて、馬鹿馬鹿しいにも程がある」
「……解せん。……不満が募る点を幾分か認めるとしても、どうして交渉の余地さえ無い。……メリットならば十二分にあるはずだ」

 ハルはもう迷わない。
 いかに言葉巧みと惑わされようとも、今の確たる自分がある。
 今の自分を支えてくれている、ここに居ない人間を思い出す。
 皮肉げに口の端を歪めて、ハルは宣言した。

「百歩譲りアンタらと握手して、奇跡の花に大きく近づけたとしても……植物学者として私達はそれを決してよしとしない」

 《青い妙薬》は植物学者としてのハルを求めた。
 しかしハルは、誇る肩書きに懸けてそれを許さない。
 大前提同士が生んでしまった、違い。故に繕いの仕様もない。

「つまり揺らぐ事なき決裂よ。さぁ、アンタの用がこれで終わりなら、今度はあたしがアンタに用あるの」

 ハルはとんと靴を鳴らし、見て分かる用件を明らかに示す。
 もう用は無い。最後に散れと。
 だが、交渉が失敗したというのに男は笑った。

「……おまえと交渉をする事が、私の唯一無二の目的だと思ったのか? ……それでも悪くないが、生憎と私は貪欲なのだ」

 まるで、まだ次の狙いがあると言わんばかりの語り。
 ハルも相当虫の居所が悪いらしく、「下らなかったら、もう聞かないわ」と釘を刺す。
 けれでも男の低い笑いが場を支配する。

「わからぬか……やはりおまえは花が似合う」

 皮肉を褒め言葉にして返したのか、とハルが眉をひそめた。
 途端、男が動いた。

「こういう事だ……!」

 男は白いマントを翻す。ハルの視界から姿が覆われた。
 ハルはためらわなかった。
 体を捻り、ガン、と足元の椅子を蹴飛ばす。
 椅子がまっすぐに男のマントを貫くと、その中にいた筈の男は部屋の扉際に立っていた。

 男は部屋の内側から鍵を開く。

「それが――」

 どうした、と。無駄な事だとハルは床を踏み締めた。
 逃げるというのなら、ハルに瞬発力で勝る人間はいない。

 だというのに、扉は向こうから押し開けられた。

「――なっ !? 」

 食器同士をぶつけあったような音が騒がしく鳴り響き、外側に居た何かが押し入って来る。
 現れたのは、甲冑。
 ギラギラと煌く鈍色が、青銅の武具を手中に収めている。
 一人ではない、二人、三人、四人五人六七八九十……!

 飛び込もうとしていた足が、無意識にじりじりと下がって行く。
 ハルは部屋に招き入れてしまった事を本格的に後悔した。
 したところでもう遅い。
 部屋には十数という兵士が、壁際まで追いやられたハルを囲んでいる。

「……魔装の源流が観測されなかったものの、奴を退けた。……作戦は捕獲とは言え、心して掛からなければ迎える末路はわかってるな」

 男は厳かに呟いた。兵士達が用心して青銅器を構えて行く。
 この甲冑の兵士達は、グラムバニエ国軍。
 なぜこの男が国軍を指示しているのか。
 ハルはごくりと喉を鳴らした。この緊迫した空気の中で、何かに気付きつつある。

「……布陣は指示通り。場所が場所だ、くれぐれも協会に傷を付けるな」
「はっ、ランクルト閣下!」

 兵士が声を揃え、まばらだった囲いを意味ある物に変えて行く。
 五人の男がハルに近寄り、武具を手に包囲する。
 少し遠巻きに、槍を構えいつでも攻撃に移れるような二陣。そしてその後ろに盾を構えた三陣。
 ハルは気付いた。
 この兵士達は訓練されている。このランクルトという人間の下で訓練されている。
 どうやら、《青い妙薬》の一件で国軍が動いている理由には、この男が大きく関わっているようだった。

「やってくれるわね、食べられそうな名前の分際で」
「フランクフルトではない、ランクルトだ」

 なぜか気分が悪そうに訂正し、ランクルトという男はドアの向こうに消えて行く。
 音を立てて扉が閉まり、それが、合図となった。
 先陣の兵士達が槍を唸らせハルに襲い掛かる。
 狙いは脚。作戦目的は殺害ではなく捕獲だからだ。

 ――脚さえ傷付けてしまえばこちらのもの。
 ――相手は女子供。痛みを与えればすぐに大人しくなるだろう。
 ――この罪も無い少女を傷物にしてしまうのは気が引けるが、その甘さを捨てなければ勝利は得られない。


 と甘く考えていた兵士に、ハルは息を鋭く吐いて逆襲した。


 窓が震えるほどに強く床を蹴ったハルが、真正面の兵士の懐へ潜り込む。
 ハルの体質を知らない相手は、少女が忽然と姿を消したように見えただろう。
 そうして、思考を空白にし、甲冑の眼下で踊る蜜柑色の髪に気付き、

 見えた時にはハルが踵を振り上げて胴部に靴裏を叩き付ける。

 異常な瞬発力はともかくとし、周囲からすれば無駄な抵抗にも思えた。
 バガンと、甲冑越しに男を卒倒させるような衝撃を解放され、兵士は放心したままに吹き飛ぶ。
 武具が宙を舞い、二陣の兵に衝突し、跳ね飛ばし、手足を投げ出して転がるのを見て、兵士達はようやくハルの異常さを悟った。

 ハルはもう駆け出している。
 部屋に生み出された風のうねりよりも迅く、先陣の真正面を走り抜ける。
 奥で薙ぎ倒された男。二陣の中心である。
 そこをめがけて、ハルは突っ切る。
 これだけの人員で囲みながら、ハルの反撃はまさかの正面突破だった。

「さ、させるものか!」

 兵士は臆せども引かない。
 腐っても国軍の兵達は、ハルが通過すると思われる地点を狙って一斉に槍を薙ぐ。
 野球で高速の物体を打つのにバットを振るうのと同じだ。

 線の隙間はかいくぐるには狭く、正面突破は諦めざるを得ない。
 進撃に勢いが無くなれば、あとは先陣との挟み撃ちにできる。

 そう思っていた。ところが、ハルの体はその遥か上を越えて行った。

 地上二.五メートル。誰がそんな高さを飛んで行くと想定できたか。
 甲冑の中は視界も狭い。二陣の兵はそのままハルを見失ってしまう。
 その光景を目の当たりにし、最後の砦である三陣が身構えた。

 これは何だ。こんなものは聞いていない。
 三陣の兵達に未知への恐怖が這い上がる。
 どうするべきか、と悠長に半秒も考えてしまった間に、ハルの足がとんと床に着く。
 瞬間、ハルは三陣への強行突破に移った。

 あ、と思った時には既に眼前。甲冑の中で兵士の顔は引き攣る。
 臆した時点で負けだとも知らずに。
 少女はどう来るだろう。右、左、上、はたまた最初に見せたように正体不明の足技。
 選択肢はおろか、予想を並べただけで精一杯だった。

「邪魔ぁッ!」

 動作のモーションさえ無い。
 棒立ちの兵士に、ハルの全体重を乗せた体当たりが高速で突き刺さった。
 金属を宿した体は見た目以上の質量を持ち、兵士は本当にあっけなく薙ぎ倒された。



 *   *   *



 例の少女は抵抗しているらしい。
 それは想定している事だったが。
 だからこそ、あそこまでの兵を動員して必勝の布陣を選んだ。
 一声、女の甲高い声が響く。

「……『銃魔』には悪いが、あの少女は私の物に――」

 背後でガチャリと、閉めたばかりの扉が開いた。
 おかしい。ランクルトは落ち着きを払って首をゆらりと向ける。
 こんなにも早く作戦完了するのはおかしい。
 完了したところで、報告に飛び出して来るとしてもおかしい。

 そして何より――ランクルトは飛び出した少女を見た――あの布陣を突破して来るのは最もおかしい。

 なのに、なぜ自分は在り得ない現実を見ているのだろう。
 こちらの注意を逸らさせない少女は、ランクルトを視界に収めて床を蹴った。
 互いの距離は六メートル。
 ドン、と一歩でその内の五メートルが縮まる。

 これは何だ。奇しくも兵士と同じ言葉をランクルトは思考した。
 だが、彼は全く恐怖を抱かない。
 術式の脈など感じられない。ならばこの少女の体に一体何が起きたのだ!
 そして、未知に向かって手を伸ばす。

「っ !? 」

 ハルはランクルトの不可解な行動に必殺の一撃をためらった。
 例え逃げようと防ごうと、ハルは仕留める自信があった。

 ところが奴は、爛々とした瞳で手を伸ばして来たのだ。
 この速度で攻撃と衝突すれば、骨折するのは目に見えているというのに。
 迫る手を、ハルは生理的に、跳ね除けるしかなかった。

 そんな事をしている間に距離はゼロとなり、また再び開いて行く。
 勢いは止まらずにランクルトを追い越してしまい、結局攻撃の機会を逸する事になった。

 過ぎ去った後に身を反転させながら、ハルは辛酸を舐めたように呟く。
 この変態。

 開いたままの扉をくぐって、兵士達が廊下になだれ込んだ。
 予想外の事態に、統率は取れていない。
 ランクルトも、そんなものは全く気に掛けてなく指示は無い。
 仕方なく兵士はランクルトを囲うようにした。

 仕損じたのを悔やみ、ハルはこの場でランクルトを倒せない事を悟った。
 二歩、三歩、下がったところで廊下の端に背が当たる。
 そこに窓がある事もハルは知っている。

「ここでは暴れられない。だから捨て台詞を吐いとくわ」

 ハルは窓を押し開け、ふわっと跳んで窓縁に立った。
 国軍兵が逃がすまいと動くが、ランクルトが腕を横に上げ、制止させる。
 ハルの一挙一動にすべからく興味があるようだ。

「――アンタは、あたしの傷の分だけボコボコにしてやるんだから!」

 それは、植物学者としての知性も、超人としての覇気も無い。
 人間として感情を剥き出しにし、泣く寸前にも見えた少女の絶叫だった。
 ランクルトは、なんとなく思った。それは私の全殺し予告を意味しているのではないかと。
 手を握って、確かに思った。これは面白いと。

 窓から降りたハルは研究者協会の庭を渾身の力で蹴り、ランクルトの視界から姿を消す。
 兵士が窓に殺到するも、既に少女の姿はどこにも見当たらなかった。

「……ヒューロだな? 面倒な事をしてくれた」

 ぽつんと取り残されたランクルトが、誰に語るわけでもなく細々と口にした。
 結果だけを言えば、標的には逃げられてしまった事になる。
 だが、この世の顛末は予定調和、と彼は考える。

「……銃魔は暴れ満月の今宵。チェックメイトまでの手筋は見えている」

 と言いつつも、彼は既に矛盾が生じている事に気付いている。
 これをチェスの一局とするならば、駒はルール無用の動きをし、土俵は盤面を食み出ている。
 しかし、だからこそ。

「……彼女は必ず私の手に落ちる」

 この未知の一戦を我が物にしてみせる。
 ランクルトは握っている手を汗ばませて凄絶と笑った。
 笑いに気付いた兵達は、互い互い甲冑の中の表情を伺い合う。

「……何をしている、作戦は終了だ。……至急総員、例の配置につけ」

 敬礼一つの後、ガチャガチャと音を立てて甲冑の兵達が撤退して行く。
 それらを見届けずにランクルトは窓際に寄り、空を見上げた。
 今宵は満月。燦然と輝く銀色の光が、彼の止まらぬ笑いを狂気として照らし続けた。



*――――――――――――――――――――――――――――――*

【後書き】

長かった…。かなり気の遠くなる執筆でした。
舌戦も乱戦も気合を入れなければならなかったので、集中を持たせるのが辛かったです。
今回、戦闘シーンには地の文を上手く絡めた臨場感ある実況に仕立て上げたつもりなのですが、いかがだったでしょうか?

ハルの過去も必見でしたが、クリスは戦闘に相当のこだわりを持っているので、声を聞けると嬉しいです。

【今回の注訳集】

「計算し尽くされた盤上の究極を凌駕し〜」
>気になった人のために解説。

 チェスでは幾手先でも読む事ができるのに、現実はそうは行かないのが魅力的だ。
 それでも結末は変わらないというのに、その面白さはチェスなんて比べ物にもならない。

 ……勿論、ランクルトの変態っぷりなんかについて行かなくてもいいですけどね(苦笑)

【レス返し】

感想はこちらにお願いします♪
http://crystals.blog.shinobi.jp/Entry/18/
メンテ

SPRING×SPRING * 2( No.84 )

日時: 2006/12/31 22:52
名前: クリス
参照: http://crystals.blog.shinobi.jp/
情報: tph1agk144.tky.mesh.ad.jp

 ―5―



 夜の闇をハルは走る。百メートルを四秒で駆ける速度で。
 一歩ごとに靴裏が破裂するような音を立て、石の破片が舞い上がった。
 街灯のともる街角に人は少ない。
 この姿が目に留まる者など誰もいない。
 照らされる橙の閃光のように、吹き抜ける突風のように、ハルは街角を過ぎ去った。

 ハルはきゅっと唇を噛んだ。
 組織《青い妙薬》の責任者、ランクルト――二年前の事件の手掛かりを持つ男。
 奴は必ずこの手で擂り潰す。叩いて、蹴って、タマを潰して、奥歯をガタガタ言わせてやる。
 発想が子供じみているハルだが、その敵意は本気のものだった。

 何はともあれ、ハルはまたこの街で大きな敵を作ってしまった事になる。
 少なくとも軍隊規模の部隊が敵に回った。
 正体不明の襲撃者の件でさえ未だ目処が付かないというのに、単身でそれらと戦い抜くのは無謀が過ぎる。

(だけどっ……!)

 ここで逃げるわけには行かない。
 無名の植物学者ハーリナクス=エルフォニアとして、この衝突は避けて通れぬ宿命だった。
 やり過ごせるとわかっていたなら敵など作りたくない。
 ハルだって、トレインさえ見つかれば一目散にこの街からとんずらできる。
 しかし《青い妙薬》が相手なら話は別だ。

 そういう組織だと、ハルは知っている。

 とは言ったものの、状況はどう贔屓目に見ても危機的だった。
 軍隊と暗殺者。正面と裏から板ばさみにされる今、街にいては一時間も耐えられない。
 だからこちらも手を打つ。
 偶然に出会った、この街で唯一とも言える理解者カチュア。

 ハル自身は身を潜め、カチュアにトレインを発見してもられえばリスクは回避できる。
 反撃の狼煙はそこからだ。
 もしかしたら、そこまでは協力してもらえないかもしれない。
 けれど彼なら味方をしてくれる。ハルはそう信じて今朝の森に駆け込んだ。

 そして、必要とあらば根掘り葉掘りカチュアに訊かれよう。
 今度こそ、組織《青い妙薬》の、ちょっとしたお話を。

「日を改めなくてごめん、でも、あんたなら――」

 森は広葉樹が肩身を寄せ合っている。
 直線的ではない道で、ハルは自身の足で走ることにした。
 ある程度、休養を取っておいて助かった。
 体力は十分に補填できているようだ。

 くねり道の脇に立つ木々は、自分を導いているように見える。
 ……それは手にする未来か、それともただの運命か。
 ハルは走る。その先を今は見据えて。
 カチュアが営業と準備に明け暮れているだろう家に向かって。

 脚に巻かれている温もりの包帯。
 それは、今、ほつれ始めていた。


 *   *   *


 ナードニックの街角に三人住まいの家庭があった。
 遊び盛りの子と、警察官の父と、主婦の母と、何ら変わりはない平凡な日々。
 それは一ヶ月ほど前に、ガラスを叩き割られるように崩れ去った。

 全治二ヶ月。
 ナードニック近郊を巡回していた警察官は通り魔に遭った。
 ……と、公式の記録には記されている。

「あの件から一ヶ月になるのか」
「えぇ。体の方は?」
「順調に回復して、もう立てるようにはなったらしい」

 現在療養中の警察官とその主婦は、寝床とその脇を場所にして会話を交わす。
 煉瓦で造られた壁に開けられた窓から、虫の音が聴こえてくる。
 言うまでもなく、今夜は満月だ。

「鮮明に思い出す。あの満月の光を感じると」
「……無理もないわ」

 おぞましい光景に寒気がしたのか、男は毛布を改めて被り直した。
 童話では、狼はあまりに頑丈な煉瓦の家に攻め込めなかった。
 それなのに、今夜の月光が漏れてくる限り、どこへいても逃れられないような感覚が襲って来る。

 満月の光。
    夏を待つ空。
       湿った風。
          静かな雨。

 バキバキと音を立てる木々。


 疾走する殺意。  飛び掛かる影。  煌く銀色。


 それは瞬く間の出来事だった。
 飢えた狼は一撃で全身の骨を砕く。
 血眼の視界でにたりと笑い、それはまるで――

「腑に落ちない事があるんだ」
「何?」
「いや、はっきりとしたことはわからないんだが……どうも、腑に落ちない」

 女は黙って男の頬に手を触れた。
 今ここに生きている。
 それだけで良かったと、伝えるように。

 暖かい沈黙が場を支配する。

 ふと、女は子供の目が気になったらしく、どこかで見ていないものかと見回した。
 幸いこの場に居合わせてはいなかった。

 と言うより、「あら、ハリーは?」 そもそも家の中に気配が無い。

 今更になるが、空は暗い。
 満たされた月が不気味に輝いていた。

「……なんだって?」


 *   *   *


「兄貴、一体どこまで」

 言おうとして、兄貴チョップが唸りを上げた。
 ジョンは間一髪でこれを避ける。

「てめぇ反応鋭くなったな」
「自己ベストタイはさすがにマズいんで」

 そろそろ新しい必殺技の開発が必要だな、とブツブツ呟きつつエリックは木の幹から顔を出した。
 森の中を十歳ほどの少年が何かを大事そうに抱えて歩いている。
 チンピラ兄弟は尾行しているのだった。

「最初は興味本位だったが今更引き返せねぇからな。見す見す迷子になんかさせるかよ」

 エリックが詳しく説明するのは、言い訳する時だ。
 本当の迷子はエリック自身だというのは自明の理だった。

 ジョンは思う。一体どこまで行くつもりなのだろうか。
 もうかれこれ二時間半になる。
 というより、先程から例の少年は森の中を蛇行しているように見える。
 行き先などそもそも無いのかもしれない。

 探し物なのだろうか。
 そういえば、今日は森に狼が出るとかいうナードニックの風の噂。
 だからナイフを引っ提げてるわけだ。ジョンは納得した。

 それにしても怯えようが尋常ではない気がするが。
 抱えているナイフがさながら爆弾のような扱いだ。

「お、道に出たみたいッスよ」

 少年はくねった並木道に姿を出した。
 ナイフを鞘ごと土に落とし、何かをゴソゴソと取り出している。
 地図、恐らくナードニックのものだろうが、現在地を確認しているらしい。

 目印もない並木道で地図がどれほど役に立つものなのか。
 しかしそこは腐ってもナードニックの住人。
 どうやら風景を目が覚えていたらしく、今度は左手の方へ道なりに進むようだ。

 二人もこれで街には戻れそうだ。

「ノブおじさん?」

 唐突に少年は声をあげ、エリックとジョンは茂みに飛び込んだ。
 この林道を巡回していたのか、一人の警官が少年の方に駆け寄って来る。
 知り合いなのか、少年は随分な慣れようだ。

「何でこんなところにハリーがいるんだ」
「今日は、満月だから……」
「そうか」

 警官ノブにも伝わっているらしき事情は飲み込めないが、警官は少年ハリーを肩から回れ右させた。

「それはお巡りさんに任せとくんだ。さ、お前のパパが心配してるから帰った」

 ハリーは不満そうに黒い髪を掻く。
 しかしやはり怖かったのか、素直ではあった。

「で、そこに隠れてるヤツらは何なんだ」

 お約束のようにギク、と。
 観念して二人は茂みの中から沸くよう出るのだった。
 ひとまず丸腰なのを見て、ノブという警官は文字通りの警戒を解いたらしい。

 何とも無愛想な顔だ。
 エリックも好感持てる顔ではないので何とも言えないが。

「おまえらも狼に用があるのか?」
「狼だぁ?」
「というよりオイラ達は迷子にならないようにこの子の後を」

 コンマ一秒、兄貴チョップが唸りを上げた。
 ジョンは間一髪でこれを避ける。
 ちっとエリックは舌打ちした。

「っつーかこいつが森に入ってくの見たんでな。その狼が何だか知らねーが」
「で、お巡りさんが狼に何を?」

 ノブは道の向こうを見る。
 森の奥深くは闇に塗られている。
 ただ月光が辺りを包んでいた。

「カチュア=ウォルレアーニってガキが一人でこの先に住んでる」
「女の子が一人でッスか?」

 問うと、ノブは含み笑いをした。
 事情を知らないエリックはそれにカチンと来る。
 ジョンも多少の不快はあるようだ。

「親はいない。近くに住んでる奴もいない。何かを隠すのには絶好のポジショニングだと思わないか?」
「隠してる、だと?」

 ジョンは深く、彼なりに考える。
 女の子が一人でとんでもない隠し事。
 なんだか想像してはいけないような気がした。
 ツッコミどころが多いが、ジョンは何やら勝手に首を振っている。

「少し探ってみればすぐわかった。薬屋なんて名義でヤツは毎月必ず麻痺毒を仕入れてた……とても人間に使えたような薬じゃないってのにな!」
「……何が言いてぇ」

 少し凄味を見せてエリックは言った。
 ノブはふと、昼間の薬屋も同じような事を言ってたなと気付いてまた含み笑いをした。
 エリックのイライラは募る。

「あのガキは匿ってる。この森の害獣をな。そいつが俺の同僚を殺しかけた狼だ」

 ハリーの目の前でノブは言った。
 父親を半殺しにした狼を、この家の薬屋が匿っていると。
 ノブはハリーの手にあったナイフを拝借すると、ベルトに仕舞い込む。
 一応気持ちは汲んで護身にするらしい。

「そういう余計な事してくれるガキは困るんだよ。治安を守る者として」

 最後の一言にアクセントを置いていた。
 それだけが理由ではないと、敢えて裏を匂わせるように。
 エリックは途端に何も言わなくなった。
 月明かりだけに照らされるサングラスは何も語らない。

「まぁ明日の朝刊を楽しみにしておけよ、俺は害獣退治で一躍何とかだ」

 エリックの肩を叩き、ノブが道の先――カチュアの家を爛々と見つめる。

「はっ、そいつは残念だな」

 言って、エリックは肩に乗せられた手をはたき落とした。
 ノブが何かを思わせる前に、
 エリックはぎりと歯を鳴らし、

 弟分を普段叩くような平手の兄貴チョップとは違う構えを、ジョンは見た。

「一面記事を飾るのは、俺様だ!」

 ドッと、エリックの握り拳が真っすぐにノブの顔面を貫いた。
 ノブはあっけなく白目を剥いて、仰向けに飛ばされ引っくり返る。
 朦朧とする意識の中、掠れた声でなぜと呟き、それっきりになった。

「なぜかって? そりゃぁ俺様が治安を乱す張本人だからよ」

 エリック=ヴァンドレーク。
 後に生きた伝説となるのかならないのか。
 何はともあれ、大犯罪者への第一歩は公務執行妨害だった。



*――――――――――――――――――――――――――――――*

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メンテ

SPRING×SPRING * 2( No.85 )

日時: 2007/01/19 16:21
名前: クリス
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 ―6―



 これ以上何かがあるぐらいなら、死んだ方がマシだ。
 そう森の薬屋カチュアは言った。
 彼の覚悟は本物だった。
 麻痺毒を人間の致死量の寸前まで測り、殺すわけにはいかない相手へ極限の手を施す。
 それでも、

「ごめん、ハル。約束破るしかなさそうだよ」

 敵は強大だった。
 やれるだけやった。最善を尽くした。それでも敵わなかった。
 満月の夜がやって来る度に、奴の影は肥大化していた。

 あの少女はここに来るだろうか。日を改めるとは言っていたが。
 ナードニックに滞在しているとなれば、もしや襲われたりしないだろうか。
 そもそも、こんなに早くこの夜に奴が解き放たれれば、奴はどれだけの被害を出すだろうか。

「もう、合わせる顔なんか無いんだ」

 結果は知りたくない、そもそも抑えられなければ死ぬ覚悟だったのだから。


 *   *   *


「兄貴」
「言うな」

 ジョンの呼び掛けをエリックは遮った。

「兄貴、ホントに目立つ為だけにお巡りさん殴っ」
「皆まで言うんじゃねぇ!」

 唸りを上げて過去最速の兄貴チョップがジョンの脳天に突き刺さった。
 自己ベストタイの瞬間をジョンは頭を抱えて迎える。

「ガキが隠してるもん見て何が楽しい。そもそもテメェはいけ好かねぇんだよ」

 言い訳ではなく、エリックはそのままに語った。
 ふと、そのサングラスの眼光がハリーの方へ向いた。
 珍しくもエリックに怯えるその少年は、ノブのベルトをまさぐっている。
 ナイフを取り戻す気らしい。

「ジョン」
「へい」

 エリックが顎でしゃくると、ジョンが伸びているノブの腰を軽く足蹴にした。
 腐ってもアウトロー。人がどこに武器を隠したかぐらい見ればわかる。
 鞘ごとナイフはベルトから外れ、ハリーが何かを思う前にエリックがそれを踏んで確保。

「いいか」

 エリックはハリーを見下ろし、その間の空間に拳を見せて言った。

「俺ぁ目障りじゃなけりゃあ殴らねぇ。それだけだ」

 この姿が少年の目にはどう映っただろうか。
 ノブの話が本当ならば、先月にハリーは父親を半殺しにされていたのだ。
 そして狼を退治に乗り出した知人の警官は、たかがチンピラに殴り倒された。

 ハリーはひたすらにエリックのそれを見て後ずさりする。
 ふと、伸びているノブの存在に気付き、背負うように引きずり去って行った。
 言葉は何も無い。

 判れとは言おうにも言えなかった。
 だがそれでいいのだ。誰かが非難されて話が解決するなら、丁度良い。
 エリックはハリーのナイフを腰に仕舞い込んだ。

「いいんスか?」
「何がだ」
「オイラ達ここに留まるわけでもないッスし、次にまたあの警官が来たりしたら」
「……俺が知るか、行くぞ」

 エリックは踵を返した。
 大して暴れていないが、十分汚れた。殴った警官が目を覚ます前に、ナードニックから出て行こうかと思う。
 ここからなら、国境も近い。

 その時、二人は背後で物々しい破砕の音を聞く事になる。
 叩き割られたような木の断末魔。
 向けていた背面には、森の奥。カチュア=ウォルレアーニが一人で住んでいるはずだ。

 エリックはここでの会話の内容をそっくり思い返す。
 ジョンの柔和な顔が、笑いを誘うほど引き攣っていた。

 先月に警官を半殺しにした狼。
 今走り出せばいくらでも逃げられる。恐れるに足りない。
 だというのに、二人の足は止まっていた。

「兄貴?」
「やるっきゃねーだろ」
「どこまでだってついて行くッス!」

 エリックはジョンを引き連れ、半ば駆け足に道を急ぐ。
 一体何をマジになってるのかとエリックは考え、舌打ちした。
 理由はたった一つ。明日の飯ぐらい美味く食わせやがれ。
 他を全くを考えないようにして、サングラスの奥の眼光はまっすぐに先を睨んだ。

「あれみたいッスね」
「らしいな」

 ぼんやりとした明かりが闇の中から姿を現し、それが段々と輪郭を帯びてくる。
 木造の小屋……元々は厳重に戸締りをしていたのだろうが、正面の戸が叩き割られたせいで、今は光が漏れているようだった。
 中が妙に静かだ。エリックの表情が険しくなる。自然と足が速くなっていた。

「おい! 誰かいんのか !? 」

 砕かれた扉の残骸を前にして、エリックは中に声を投げ込んだ。
 返事はすぐに帰って来た。

「アー、胸糞悪ぃ」

 ノブが言うには、カチュア=ウォルレアーニという少女(誤認)がこの家に一人で住んでいるはずだった。
 では、今の枯れた声の正体は一体何なのか。
 ジョンがすくみ上がり、無意識にもエリックの背後へ隠れつつある。

 枯れた声の主は、焼けたような息を音に出して、呼吸を深く味わっているのか。
 崩れている扉の残骸から、メキメキという音と共に一つのシルエットが起き上がった。

「どーして俺様がこンなとこにブッ込まれてなきゃなンねーんだァ」

 その姿は人ではなかった。
 満月の光に照らされる銀色の影。その質感は夏なのに毛皮を被っているようで、実は生きた毛皮だった。
 闇の中でも黒光りする黒曜石の鋭い瞳に、青白く凶悪に月光を照り返す牙。
 エリックの中でノブの言葉が反復される。同僚を半殺しにした。害獣。

 しかし、その姿は狼でもなかった。
 面を上げた狼は一体何の冗談か、さらに、そこから体を起こす。

 屈み気味で正確ではないが、百六十センチ以上の全長を持つだろう。
 異形の一言ですら片付かない、直立七頭身にして筋骨隆々。
 満月の下で立つ姿は、狼であって狼でなく、人であって人ではない。

 ――【狼人間〔ワーウルフ〕】。本当に唐突に、そんな単語が浮かんだ。

「大分話が違うじゃねぇか、クソ野郎」
「兄貴、オイラ昨日からずっと嫌な予感してたんス」

 フランクな皮肉を交えて二人は未知との遭遇を出迎えた。
 ふと、声に反応したのか狼がこちらを振り向き、目が合った。

「ちょーど良ぃ」と、枯れた声が聞こえた時にはその姿が消えている。

 二人は数の利を活用すべく背中合わせになる、つもりだった。
 一瞬一撃。
 狼がジョンの視界でエリックの背後に現れたのと、エリックが入れ違いに消えたのは同時にも見えた。
 どこから割って入ったのか、どんなやり取りがあったのか、過程がコマ落ちしたように結果だけが視界へ映る。

 飛んで行ったエリックが小屋の中へと吸い込まれ、盛大な破砕で小屋を震わせた。

「兄貴ィ !? 」

 狼の存在も忘れ、ほとんど泣き叫ぶようにジョンは飛んで行った先へ駆けて行った。
 それを横目で見つつも、狼は片手を握って喋る。

「弱虫の分際で要らねェことしやがッて、パンチで人間が死にもしねェ」

 エリックは殺傷沙汰のように飛んで行った。どっこい、実は骨の一本も折れていない。
 ハリーから没収したままのナイフと鞘が、結果として彼を命拾いさせ、しかしこれに狼が気付くわけもない。
 破壊の感覚が麻痺しているだけかもしれないが、鈍っているのは確実と、狼は手を握って閉じてを繰り返していた。

(犬が立ってる)

 その光景をハルは少し離れた位置で見ていた。
 道の途中で気絶した警官を引きずる少年がいたと思えば、カチュアの家の方で音が鳴り響き、駆け付けた今はこの騒ぎだ。
 吹っ飛ばされた男には見覚えがあったが、この際気にしない。

 あの直立している狼崩れが、カチュアの言っていた狼なのか。
 猛獣にしては姿形がふざけている。一応男なのだろう。半身は破れ気味のジーンズをまとっていた。
 それはともかく、カチュアの安否が気掛かりだ。

 狼が、細かく鼻を動かす。
 腐ってもイヌ科。嗅覚は人間のそれより数倍効くと読んでおくべきだ。
 新たな匂い、つまりハルの来訪を感じ取り、こちらの方へ首を回す。

「アンタが噂の狼……まさか喋るとは思わなかったけど」

 香りやら声やらでも女だとわかっただろうに、狼はハルの姿を見てからニヤリとした。
 見ないと分からない、例えば体型や年齢を含めた容姿などに、好都合でもあったのだろうか。
 それとも、と思っていると狼が枯れた声でハルに言葉を返した。

「テメェが、ハルみたいだナ」

 一体なぜ知っているのか。
 ……振り返れば、もう今更ではないが。
 気付かぬ内に有名人で迷惑と、最早ハルは投げ槍に感じた。
 その元を突き詰めておく抜け目の無さは健在だったりする。

「何を根拠によ」

 そういうわけでハルは問った。
 見ていて品が無く、利口な狼には見えなかったのも理由だが、本音は事のついで。
 答えの有無で支障を来たす事がなければ期待もしていない。

「野生の勘ダ。カチュアって弱虫が最後まで呼んでたからよォ」

 返答は思わぬ方面で、ハルを揺さぶるのだった。
 視線が狼から外れ、その後方にある小屋へ目を凝らす。
 その入り口は、チンピラが飛び込む前から砕かれていた。

 最後まで呼んでいた――と。

 小屋の中から、どこかで聞いたような声が兄貴兄貴と連呼する。
 裏を返せば、他には何も聴こえて来ない。

 カチュアが、最後まで呼んでいた――と。

 何かが足りないという違和感。
 存在の欠落という恐怖をハルは肌で感じて、これを悟られないよう、抑揚ない声で言った。

「そのカチュアは?」

 狼は、ニヤニヤと笑みを浮かべていた。
 こんな美味しい展開をどう料理すれば最高に仕立て上げられるか、それを模索しているような楽しげな口元。
 痺れを切らしたハルが足を浮かせた矢先、

「喰ッチマッタ」

 狙っていたように狼が一言、告げた。

 言葉は胸を貫く杭のようだった。
 朝に出会い、昼に語らった少年が、夜に喰われたと言われた。
 理解、不能。容赦が無くて、脈絡が無くて、何より頭が付いて行こうとしていない。

 ただ体は素直に拒絶している。
 冷たい四肢に怖気が走り、胃の中身を捻り出すべく内蔵が脈打ち、血の気がゾっと霧散して行く。
 思考を焚き付けるように呻きを上げる体が、別の生き物にさえ感じた。
 かろうじてハルは立っている。一時的に、心と体を切り離すことによって。

 ――もし彼が偶然にも、ハルと出会った今日に命運尽きたのだったとしたら。
 もしこの世が帯重なった偶然によって紐解かれているのだとしたら。
 なぜカチュアはあの牙に掛けられたのだろう。
 彼は果てに何を思ったのだろう。

『正確には、猛獣を食い止めるってとこかな』

 かつて、カチュア=ウォルレアーニは言った。
 麻痺毒を手にして、ハルにそう語った。
 その時にもハルは不審さに気付いていた。
 退治から食い止めると言い直したのには、そうせざるを得ないというニュアンスが含まれていた。

『奇跡の花なんて、もしも本当にあるのなら僕も探しに出てるのにね』

 彼は救いを求めていたか、イエスだ。
 きっと彼は優し過ぎたのだ。
 悩ませる狼を殺す手立てを持っていながら、食い止めるという綱渡りで殺すことを避けてきた。

 ずっとそうだったのだろう。
 優しさゆえに殺しで平穏を安泰させようとせず、また優しさゆえに他の誰にも言えず、巻き込まず、救われず。
 しかし優しさが全てを救い抜くとは限らない。人はそれを甘さと言う。
 九十九回成功した綱渡りが、百回目も成功するという確証はどこにもないのだ。

『でも、すがり付く程でもないからいいよ。現状で満足してるし』

 これが、この現実が、本当にその答えだったのだろうか。
 彼はこれを善しとしたのだろうか。
 カチュアは。

 ……ハルは彼の戦いの最後に駆け込みで居合わせただけ。苦悩も被害も何もない、当事者とは掛け離れた、いわゆるエキストラだった。
 だが、その結末を知ってしまった。

 全てを壊したのだ。
 この、白銀の悪魔が――!

「おまえぇぇ!」

 怒りと悲しみと憎しみが一度に押し寄せる。
 その場にいては耐えられない。叫び、ハルは無我夢中で土を蹴った。
 一人と一匹の距離をゼロにするのは、彼女なら二歩。

 右足で間合いの六割を詰め、黒に煌く目が見開かれ、
 左足で踏み切り、銀の毛皮がぶわっと逆立ち、
 ハルが飛び上がった時、狼の腕は顔面をクロスさせていた。

 月光を浴びる片足と腕。
 全ての軌跡が一瞬を称する、空中、衝突。

「やあああ――」

 抑えられない激情を込め、ハルは足裏に破壊の力を迸らせた。
 例えガードが間に合おうが関係ない。
 まさに骨も筋も一撃で蹂躙する威力なのだから。

「あーァァァァ !! 」

 ズガン、と振動で木々をも揺らす音を立て、

 狼の体躯は二メートル半、下がった。

(――え?)

 土に足をめり込ませつつも溝を作って、狼はまともな直撃に晒される。
 片足と言えど、アリバーを夜空の果てまで飛ばした攻撃。
 それを直撃で受けきった。

「効ィたゼ。全身揺さぶられて思わず目ェ剥きそォだ」

 ダガ、と興奮した吐息と共に狼はニヤリと口を歪めた。
 先制の反動でハルの身体は宙にある。
 その肢体を、黒曜石色の瞳が視野に納めた。

「お陰で痺れが吹ッ飛ンぢまったぜェ!」

 埋まっていた足が引き抜かれた、と思うと狼が土を巻き上げてハルに迫る。
 その速度は恐ろしく俊敏で、ハルの高出力には劣るとも人が逃れられるものではない。

(ま、ずい!)

 ……ハルの過ちは、踏みつけ、反作用ベクトルを上に向けてしまった事だ。
 宙にあるその身体は逃げの手を打てない。

「それと俺ン名は『オマエ』じゃねェ」

 瞬く間にハルを射程にした狼は、高く跳躍した。
 直撃は御法度ながら回避は不能。
 どうせ食らうなら、とハルは身体を丸めて四肢を盾にする。

「シルビア=ウォルレアーニだッ!」

 銀の爪がハルの片足を引き裂いた。
 膝下のジーンズを根こそぎ裁断、脛に巻かれていた包帯すら食い千切る。
 傷抉りの薙ぎは、しかし鋼によって弾かれた。

「っつ!」 「?」

 自然では有り得ない現象に、シルビアは何を感じたのか。

 だが牙は止まらない。
 鋭利を防げるのなら――爪を握り締めた拳が振りかぶられた。
 崩された体勢でハルは、破滅的な鼓動を感じ、反射で身を捻らせる。

 鍋をハンマーで叩き潰したような音を立て、殺意の拳がハルを捉えた。

 拳の吸い込まれる場所は、振り上げ、合わせられたハルの片足。

(受け――)

 物理攻撃を吸収する足裏。を貫いて、衝撃という名の破壊がハルの全身を打ち据えた。

(――切れない !? )

 引き裂かれていた包帯が、余波で完全に千切られる。
 くぐもった悲鳴を共にして、拳の押し出す力が、仰け反ったハルを闇夜に舞い上がらせた。
 高く、遠く、そして広葉樹の茂る葉の中へ消え、幹ごと傾くほどの衝突をシルビアへ知らせる。

「手応ぇ大有り……くたばったかァ? ま、ドッチ道ぃ動けねーだろォな」

 はらはらと、散った包帯が舞う。
 ハルとカチュアが出会った事実は、もう名残でしかないように。
 森の静けさには木のざわめきさえ、薄れやがて無くなった。

「あの弱虫が最後に呼んだ名前だからナ。後に取っとくか」

 今すぐ殺せる獲物は後でも殺せる。
 だったら美味そうな女はお楽しみでもいい。
 馬鹿でも自惚れでもなく、直接打ち合った結果からシルビアは思った。

「匂ぃも覚えタ。軽く前菜ィ喰ってからメインディッシュにしてやンよ」

 シルビアは散ったハルの包帯を爪に乗せ、その匂いを確かめる。
 これからの食事のコースを考え、ぺろりと舌をなめずった。

「さァて、準備運動も済んだトコで早ッ速前菜と行こーかァ」

 軽く尾を振り、シルビアはカチュアのいた家を後にするのだった。
 満月が沈むにはまだ早く、歩みは道なり確実に。
 これから血の渦中となる都市へと。


 *   *   *


(生きてる)

 まずハルはそう思った。
 彼女の身体は宙ぶらりんで、片足は木の幹に穴を開けている。
 衝突を足裏以外で当てていたら、末路はそれこそシルビアの言う通りだっただろう。

 それほどシルビアの一撃は脅威だった。
 純粋なパワーなら、《真紅の命》で巨大化したアリバーの方が上かもしれない。
 だが、シルビアには人並みのサイズであの膂力がある。

 簡単な事だ。当たる表面積が小さければ圧力は跳ね上がる。
 巨大アリバーが万遍なく叩き潰す鈍撃とするなら、シルビアだと同じ条件で一点に集中した風穴ができるかもしれない。……どちらにしても生身が食らえば必殺に近いけれど。

 半身を軽く振り子のようにして足を引き抜く。
 支えを失った体は、自由落下に導かれて根に着地した。
 シルビアはもう見えない。

「カチュア」

 森の薬屋は、たった一人森に居を構えて怪物狼シルビアの暴走を押さえ込んでいた。
 彼はその牙の犠牲になった。紛れもない事実だ。
 ハルの敏感な嗅覚が残酷に教えている。森の薬屋が持っていた特有の香りが去って行く。
 シルビアの存在と共に。

 これは何かの偶然か。それともハルに対する運命の悪戯なのか。
 吐息が微かに震えている。

 カチュアは、なぜハルの名を呼んだのだろう。
 間際に及んで、こちらの身を案じていたのかもしれない。
 それとも、自分に最後の希望を託していたとでも。

 あの時、麻痺毒の存在に気付いて会話を交わした時。
 打ち明けるかの選択肢を与えず、問い詰めてしまえば彼を救う手助けができたのだろうか。
 ……世はそんなに都合良くはない。仮定法はこの現実を見たから思える事なのだろう。当時のハルでは想像だにしなかったのだから。
 都合良くない世界なら、なぜこんなに理不尽なのだろう。

「酷いよ」

 青いジーンズの片側は膝下でばっさりと断たれている。
 巻かれていた温もりはもうそこにない。
 いつかどこかで感じた喪失感。以前はそこに奇跡が宿り、大切なものを失わなかった。
 しかし、奇跡はいつでも起こせるものではない。
 ハル自身が一番良く知っている。足掻いてもあの少年は取り戻せない。

 何かが吹っ切れてしまった。

「……どいつも」

 泣くのは卑怯、とハルは戒める。
 なぜなら自分は戦えるのだから。
 リスクばかりを考え、敵の大きさから逃げ、ろくに立ち向かってもいないのだから。

 今も、敵を見過ごして街を見殺しにさせかけている。
 街には正体不明の銃士、軍隊を統率する男がいる。そして狩猟のエキスパートであるトレインがいる……はずである。
 だがしかし、被害が出る前に彼らが狼と衝突できる可能性は、単純に三人を街の総人口で割ったような確立だ。

 否。
 限りなく百パーセントに引き上げる手段はある。
 ハルは、誰もいないというのに鼻白んだ。

「こいつも」

 自身がシルビアと激しく交戦し、それを撒き餌として敵であろうと無かろうと呼び込めば。

 わかっている。これは諸刃どころではない。
 例えこちらにトレインがついたとしても、敵の量と質が尋常ではないのだ。
 そもそもシルビアにさえどこまで持つか分からない。波状攻撃を受ければ一溜まりもないだろう。
 けれど、自分がやるしかない。
 そう錯覚しているのか真理なのか、それすら分からなくなるほどハルは追い込まれていた。


 だから、「どうして」 ハルは叫び、「みんな」 地を踏みしめ、「あたしの」 月を強く睨んで、「敵なの !? 」


 跳んだ。
 朝にも見た木々の上を、漆黒の帳の中を、血戦の舞台となるナードニックの街に向かって。


 星を隠す雲が、空を闇に染め上げている。
 天井知らずの悪夢に見えた。吸い込まれたら最後、二度と光は浴びられないようにさえ感じた。
 しかし少女はもう逃げない。
 街の灯りが近づいて来る。ほのかに照らされた橙の髪が、闇を切り裂く。

 一跳びで街へ着いた時に劈く着地音、それが彼女の宣言となるだろう。
 割れた大地が語る、『逃げてばかりの戦い〔ワンサイドゲーム〕』は終わりだと。



第三章、終


第四章Destroyer Blue−飛び交う蒼の凶弾≠ノ続く



*――――――――――――――――――――――――――――――*

後書き、注訳集、感想はこちらに
http://crystals.blog.shinobi.jp/Entry/66/
メンテ

SPRING×SPRING * 2( No.86 )

日時: 2007/04/07 17:48
名前: クリス
参照: http://crystals.blog.shinobi.jp/
情報: tph1agk144.tky.mesh.ad.jp

「ねぇ、生まれ変わりってあるかな」

 夜空を見上げるといつだって、あの風景が蘇って来る。
 吹き抜ける優しい風と、空の一面を見渡せる崖。

「なんだよ、急に」

 かつての少女は草の上に行儀良く座り、かつての少年はその後ろでいつも寝転がっていた。

「もし生まれ変わったら、お星様になりたい」

 翡翠色の髪に、トパーズの瞳。
 満天の星空を見上げて彼女は言う。

「お星様だって?」

 同じ空を見上げてかつての少年が答える。

「そう。君の髪みたいに蒼い星に」

 それが褒め言葉なのだとしたら、髪の事を言われたのはこれが初めてだった。
 彼女はくすりと笑う。

「……おまえらしいけど、そしたらどうするんだ?」

 星空の下の彼女は、陽を浴びる姿に比べると何故か幼い。
 その姿を視界へ映さぬように目を閉じる。

「      」

 目を閉じているというのに、声が耳をくすぐる。
 いつになっても、この声が消えることはない。



 満月の夜と雲の陰、ひっそりと佇む星が一つ。



 第四章

Destroyer Blue−飛び交う蒼の凶弾

 ―1―



 足元で煉瓦の破片が飛び散った。鋼鉄の身が空の彼方から落ちてきた。
 研究者協会のある都市ナードニック。この街の風物とも言う煉瓦通りに穴を開けるのは何だか申し訳ない。ましては、これから戦場にするというのなら。
 砕ける音はまるで宣戦布告のようだ。ハルはこれを気にしない。そもそも陽動のつもりで腹を括っているのだから。

 街は静まり返っている。今日が狼の出る日という認識だからだろう。
 耳を澄ましても騒ぎは無い……即ち、まだシルビアは来ていない。少なくとも犠牲は出ていない。

(アイツは)

 奴ならどこに現れるだろうか。読み間違いは許されず、悩むための猶予はない。
 姿勢は俯き加減に。街灯の明かりを浴びる前髪が目元を覆う。その奥にある瞳は研究者としての英知を確かに物語っていた。

(アイツはあの時、私を見逃した。だけどあくまで食らう気でいる。その自信の所以、直前の一撃で私を仕留めたと確信したから。
 奴は値踏みして行動する。確証より勘。そして格下と認めた存在の反乱を恐れることはない。だとしたら……判断材料は揃った)

 靴のつま先で煉瓦をつつき、ハルは顔を上げた。
 シルビアはこの街で何かを恐れているか、否。それなら衝突をためらう道理はどこにもない。
 直線距離で来る。果たして間に合うかどうか、もうハルは答えを弾き出している。

「私なら、十秒」

 それは計算で導いた数字ではなく、必ず辿り着いてみせるという意思決定だった。

 この街の地図は頭に入っている。迷わず、そして恐れぬハルは疾風と化した。

 高まる鼓動がさらに足裏へ力を与える。

 秒速三十メートルに達する超速の世界は彼女の孤高。

 人無き大通り。薄闇の十字路。

 交差点の柱を睨んだハルの身体が宙を舞う。

 捻った身が青銅の柱へ衝突、添えられた足を何の停滞もなく炸裂させた。

 跳弾のように方角を変える。キッと飛び行く先を見据えた。

 見えてくる。香ってくる。それの存在が。

 街の外れ。森の薬屋へ続く道まで――宣言通りの十秒。

 ハルは踵で慣性を殺し、小さく息をした。
 当然だが間に合っている。そうでなければ困る。
 ここから先は情け無用の潰し合い。全てに決着が付くまで安息はない。

 そう最後の一歩を踏み切ったところで、「待て、そこで何をしている」 声は掛けられた。

 迅速な反応に橙の髪が浮く。振り向いたハルが目にしたものは、駆け寄って来る大勢の人影だった。
 あまりに高速で流れた視界で見落としていたのだろうか、不覚に思う。
 銀の月に照らされたのは、鈍く光る甲冑。

「グラムバニエ、国軍」

 そう呟いて、ハルは警戒を解く素振りを見せた。
 先の件があった今では、怪しまずにはいられないだろう。だが、ここで慌ててはいけない。
 表向き普通の少女を装って、ハルは静かに神経を張り詰めた。

「今夜は狼が出る。こんな街の外まで来て何のつもりだ」

 国軍の先頭に立つ甲冑が、ハルを戒めた。
 彼の目はハルを、ただの街娘のように見ている。
 あの時の部隊とは別働隊なのだろうか。

「そういうあなたは? 軍の溜まり場なんて物々しいけど」
「込み入った事情で警備隊が役に立たない……我々が出ないで誰が狼を止めるんだ」

 警備隊の障害とは、一体何なのだろうか。
 わからないが、ともかく軍がシルビアを狙っているのは好都合だ。
 ハル自身への意識も薄れるだろうし、最悪の場合はシルビアの足止めをしてくれるだろう。

 そこに、先頭の男の後ろにいた甲冑が、声を出した。

「おい、その服はどうした。まさかとは思うが」

 ハルのジーンズは膝下で裂かれていた。幾らなんでも、丸ごと切り落とすのはファッションで片付けられないものがある。特に今は時期が時期だ。
 これはさすがに、誤魔化しきれまい。

「えぇ、そうよ。私は狼を知ってる。ここから来るわ」

 観念したハルはきっぱりと言った。
 兵の様子を先程から観察していたが、どうやらランクルトの息が掛かった者ではなさそうだ。
 腰に挿された武器は誰も意識していない。戦意はもちろん野心も無かった。

「逃げた方がいい。ここは私が相手する」
「ふ、見くびってもらっては困る。敵前で逃亡していては何の為の国軍だ」

 それはそうだ。この意地は恐らくハルが干渉できる世界ではないだろう。
 今回ばかりは、国軍の力を借りることにした。

 彼らには銃士隊もいる。少なからず戦力にはなるだろうし、何より騒ぎが大きくなればトレインや他諸々を導く餌にできる。
 シルビア、そしてランクルトを粉砕した後に、敵を煙に巻くための人ごみにもできるだろうか。
 そのような算段を頭の中で立て、森の奥を見据えるハル。

 が、ふと、足元の黒に気付いた。

 背後にあるランプに照らされた、ハルの伸ばされた長い影。
 その後ろに一歩二歩と近づく、甲冑の影。
 ――そして、異物が振り上げられる!

「 !? 」

 ドンと身体を前に吹っ飛ばした直後、ハルを狙った槍の腹が煉瓦通りに振り下ろされた。
 振り向きざまにブレーキを掛け、身体を滑らせながらハルはその武器を見る。
 渾身の一撃が決まらなかった不快にか、同じようにして武器をまじまじと見る甲冑は呟く。

「詰めが甘かったか、簡単に騙せるものだと思ったがな」

 まさか、最初に接触した時点でこちらを罠に落とすつもりだったとは。
 奇襲に失敗したと見た国軍兵は、次々に武器を取って行く。
 やはり、こいつらも。

「ハルといったな。大人しく投降すれば痛い目には遭わないぞ」

 先頭の男は指揮官なのか、手振りで背後の軍勢を指図しつつ宣告する。
 ハルの目が、すっと細まった。
 敵の数は四十、いや五十。こんな大群を相手にした事があっただろうか。
 まったく厄介な邪魔が入った、とハルはあくまで邪魔者扱いした。

「アンタらこそ、さっさと帰ったらどう?」

 過小評価ではない。先程は逃げを打ったが、それは勘違いだ。
 街を、そして空を背中にしたハルに、追い詰められるという言葉は存在しない。

「やれ!」

 その号令で甲冑の大群が歩を進めるよりも、圧倒的に速くハルは動いていた。
 指示の声が消えぬ間にその身体はトップスピードへ。人間の加速走を無視した瞬発の動きに、出鼻から統率は崩された。
 すかさず切り込むハル。腕をクロスさせ、肘のワイヤーが煌く。

 突風が駆け抜け、その後には一人の甲冑が足を奪われていた。
 狙いはともかくハルの動きが止まった。そこに殺到する甲冑の白兵。
 各々の武器が振りかぶられる。

「はああああ!」

 ハルは素早く、足元を斜角で数回爆破。その勢いで身体が二転三転した。
 ワイヤーを甲冑に繋いだまま。
 轟!と、吹き荒れるは鈍い凶器。完全に振り回されたままの甲冑が周囲の兵を巻き込み薙ぎ倒した。
 ハルの身体を中心にした暴風は、さながら等身大の鎖ハンマーと化している。

 一輪旋風。

「ッ飛べ!」

 離された甲冑が砲丸のように飛び放ち、一人の男に衝突して勢い良く転がって行った。
 初撃でこの有様。もはや統率の欠片もなく、逆にハルを囲むように見える殺陣崩れになっていた。
 少しふらつくハルだったが、攻撃に容赦はない。

 一人を粉砕。そこに駆けつける甲冑が狙いを定める。
 が、武器を突く間もなく彼女はそこから姿を消し、背後からさらに鈍い音がする。
 数メートルという次元でのヒットアンドアウェイ。

 彼女を襲うには、あまりに土俵が広過ぎた。
 橙の閃光が、縦横無尽に戦場を引き裂く。

 なかなか仕留めるに至らない戦況に、指揮官が業を煮やしたようだ。

「銃士隊、前へ!」

 号令にハルは息を呑んだ。対空武器には相性が悪い。
 いかにトレインや例の襲撃者より劣ろうとも、軍人の腕は一線を越えている。
 このままでは、勝算が薄そうだ。

 ガチャガチャと別の甲冑が隊列を組む。頭を守る防具が開けているのは、視界を確保するためだろう。
 握られているものは、旧式の短銃。

 ちらちら、ハルの視線が辺りへ向けられる。
 まずは逃げるか、もしくは隠れた方がいいだろうか。
 しかし、標的はあくまで国軍ではなくシルビアである。奴らの始末が悪いのは、一人一人のスペックは大した事がない点だ。撤退して街の入り口を明け渡してしまえば、犠牲者の数は両手の指でも数えられそうにない。

(……もう、逃げるのは御免よ)

 ハルは意を決した。戦う。
 背後にドン、と跳んだハルの姿に銃士隊は拍子抜けした。
 開けた道に標的がぽつり。隠れるわけでなければ、接近戦に持ち込むわけでもない。

 状況は千載一遇の好機だった。手柄を欲する兵達が我先にと銃を構える。
 それだけで失神してもおかしくない数の照準に晒される、寸前、ハルは脚を振り上げた。

 ガシャンとガラスの砕ける音。銃士の隊列からどよめきが起こった。
 ハルの姿は薄闇と混ざる。街灯のランプを破壊したのだ。
 間合いに関係なく、それでいて大量の敵を同時に牽制する手段。それは視覚の掌握だった。

 焦燥に駆られて立て続けに発砲音が響く。手応えはない。
 その返事は、さらに砕かれたランプの音でもたらされる。
 今や、白と青のクレリックシャツも、裂けたジーンズから伸びている肌も、蜜柑色の鮮やかな髪も。
 奪われた灯火と月明かりの下では、黒きシルエットと化していた。

「うろたえるな! 二列横隊、水平射撃、直ちに準備せよ!」

 指揮官が怒鳴る。だがこれに黙っているハルではない。
 隊列を変えようと動き出す銃士達へ疾走、取り乱した中へ黒い影は一瞬で潜り込んだ。

「消え――」「ガ !? 」「標的が隊列に!」「なっ !? 」「ど、どこへ行った!」「おのれぇ !! 」「もらったァ!」「馬鹿、俺だ!よせ !! 」「グェッ!」

 一撃、巻き上げられる甲冑。一撃、薙ぎ倒される甲冑。
 銃士隊は敵を懐に入れながら手も足も出なかった。握られた銃は同士討ちを恐れ、他に武器はない。

「撤退だ!銃士隊! 二等及び三等白兵、応戦せよ!」

 立っている銃士がたまらず逃げ出す、それと入れ替わりに先程の兵が突っ込んで来た。
 ただし今度は格段に暗い。ただでさえ視界の狭い白兵甲冑にこれは酷だった。
 黒い旋風が、一つまた一つと鈍色の鎧を崩して行く。

 乱戦模様だ。軍側からすれば、たった一人の少女に絶望的な戦況を見せられる地獄絵図か。
 なんとか逃げ延びた銃士隊だったが、この様相には、仲間への誤射を恐れて立ち尽くすばかりだった。


 そこへ背後から、歩み寄る銀の影。


 ナードニックに辿り着いたが、早速街の入り口で何者かが暴れているらしい。
 辺りは硝煙の不快な臭いばかりだ。
 甲冑の軍勢が何かを取り押さえようとしているが、それには興味ない。
 すばしっこい影も甲冑の輩も、わざわざ襲うのは面倒な話だ。

 標的はまだまだ、それこそ街ごとの人間がいる。
 銀の狼は何のお構いなしに歩を進めた。青白い牙をちらつかせながら。

「あ」

 気付いたのは、銃が使えずどうしようもない銃士隊の一人だった。
 勘かそれとも気配か、不意に背後を気にしたら、見つけてしまったといったところだ。
 暗がりに映える白銀の毛並みは、なぜか人間のように直立して歩いていた。

 そういえば、こちらが襲う前に少女が何かをいっていた気がする。
 破れたジーンズと、狼の来襲を告げる言葉。
 もし、あの少女の服を剥げるような実力の狼が、本当にこちらへ来るのなら。

「あ、あ……」

 狼男がこちらの発見を察して、ニヤニヤとした笑みを浮かべている。
 どう見たって、我関せずとする様子はない。

 まさに前門のハル、後門の狼。

 歯がカチカチと音を鳴らす。仲間の銃士がその異様な姿に気付いたらしい。
 視線を追った者が、今更ながら次々と反応を起こす。
 逃げられない、例え逃げられないのだとしたら。

「うわァああ!」

 最初に見た銃士は、狼男に背を向けて白兵とハルのもとへ走って行った。
 武器は役に立たない。むしろ撃たない方がいい。
 狙いは、丸腰でハルへ突っ込み、甲冑の中で倒れたふりをすること。

「どけ」

 だというのに、すぐ耳元で知らない声がした。
 その目を合わせた時点で狼の牙に掛かっていたのだと言わんばかりに。
 死にたくない、否定を求めてまだ遠いハルへ手を伸ばした。

 両肩に、何かが乗るような圧力が加わる。
 一つの違和感を感じて、ハルがこちらを向いた。

 だが、肩に乗っていた力が一気に爆発し、銃士は声もなく地へ沈んだ。
 甲冑の両肩をシルビアが踏み台にし、渾身の力で飛び上がったのだ。
 止め具が外れかけている。甲冑の中でなければ二度と立てない体になっていただろう。銃士はただ痙攣していた。

 大きな上昇を得たシルビアが、銀の月に照らされて街の闇へ消えて行く。
 まさに、あっという間の出来事だった。

 ハルは、それをただ見ていることしかできなかった。

 しまった、脳裏に走った第一声。
 国軍の相手をしている間に、シルビアの侵入を許してしまうという、想定外の大失態だ。
 向こうはハルに気付かなかったのか。このままでは最悪の事態が起きる。

 ハルは、間が悪かったとは思わない。恨むべきは己の無力。
 まだ戦える。まだ間に合える。言い聞かせるようにして、無我夢中に叫んだ。

「待て!」

 跳ぶ。シルビアの去った方へ、何者の追従をも許さない孤高の足で。
 一陣の風が吹き抜けた後、街の入り口に残るのは国軍だけになっていた。

 国軍に、彼女を追える者は誰もいない。
 既に心の折れた者。戦わなければならないと奮う者。
 どちらも気付いている事がある。

 奴らの力は手に負えないという事。
 そして、自分達に大打撃を与えたこの惨事は、無益な余興だったという事を。



 *   *   *



 シルビアは佇む。空は一面、月明かりと雲の淀みだ。
 建物の屋根に直立する姿は、身を忍んでいるようにも見えた。
 足元は煉瓦でできている。これをカリカリとシルビアは足の爪とぎにしていた。

 もう興奮が抑えられそうにない。煉瓦通りを見下ろしてシルビアは乾いた息を吐く。

 煉瓦は緋色、赤は血潮。
 絶景だ。この街がこれから血の海と化すのならば。
 狩っても狩ってもまだ足りない。狩ることだけが己の存在意義であるというのに。


「血祭リだァ!」


 絶叫は街中へ響き渡った。
 それを誰が聞き届けてもおかしくない。宣言どおり、自ら血戦を望んでいるように。
 やがて微々たるざわめき、焦燥や恐怖を、鋭い聴覚が捉えた。
 己の血が冷えるようで滾っている。戦いの予感と、それの歓迎か。


「シルビア!」


 指名は高らかに響き渡った。
 シルビアには誰だかすぐにわかった。ハル、という喰らいがいのある女。
 体を右半ばに向けると、彼女は教会の尖塔に立っていた。

「来やがった」

 闘争本能に火を点ける存在。そしてそれを蹂躙する悦楽。期待そのものでシルビアは応えた。

「アンタの思うようにはさせない。覚悟しなさい」

 ハルは宣戦布告をする。
 眼下では黄金色の鐘が揺れていた。尖塔の十字架を背にし、罪か責か、戦う理由を背負う少女が立つ。
 再び対峙した一人と一匹は、誰も届かぬ街の上空を張り詰めた空気に染め上げている。

 突如こだまする銃声。
 同時に、カァンと甲高い音で鐘の中心に何かが衝突した。
 ハルは水を掛けられたように反応し、シルビアも犯人を捜し辺りを見回す。
 耳を澄ますと暗闇から送られる、背筋へと這い上がる声。


「観念するのは嬢ちゃんだ、おイタはとっくに過ぎてるぜ」


 戒めは静かに響き渡った。
 こちらへ銃弾で挨拶した男をハルは知らない。
 《銃魔》にて《サウザンド・ブリッツ》のアーノルド。
 ハルの視界で男は、遠い尖塔の真正面、煉瓦の建物の窓から顔を出していた。

 早過ぎる。このタイミングで、とハルは唇を噛んだ。
 この男の標的は当然ハルであり、恐らくシルビアも男は眼中にない。
 一方を放って戦う事は限りなく無理に近い。ましては、同時に相手にするのは。
 絶望的な状況に足元から怖気を感じる。それでもハルは逃げようという考えを持たず、ひたすらに立ち続けた。

 敵の射程にはいる。だが焦る必要はない。
 ハルは、度重なる襲撃によって見抜いている。あの男の銃は一発ずつ装填する仕様だ。
 動いたところを即射抜かれる恐れは無いし、そもそも奴の行動を分析すれば、単純に即死させようという魂胆もなさそうだ。

 銃魔が硝煙を息で吹き退け、動く。次弾の装填だ。
 今しかない。ハルは足裏に力を込め、

 まだ装填もしていないのに銃声が闇夜につんざいた。

 心臓が止まるかと思ったハルだったが、自分は何もされていない。
 銃魔の方を見ると、その一つ下の窓に綺麗な弾痕が残されていた。


「テメェこそ、ふざけは大概にしろ」


 怒りは強かに響き渡った。
 ふっ、と「トレイン?」ハルの口元が緩む。
 今やこの街で彼女の唯一無二である味方、トレイン=ランカスター=ハルバート。
 先客が三者三様に声の方を向く。

「馬鹿……」

 ハルは壊れそうなぐらい、強く笑った。
 今まで一体何をしていたというのだろうか。
 散々人に捜させておいて、散々人を追い詰めさせておいて。
 限界の極み、絶望を一度は思わせたタイミングで彼は現れた。

「ほォ」

 シルビアは次々と名乗りを上げる強者に、目を輝かせた。
 弱者を狩ることはもうどうでもいい。

「あァ、そういう事か」

 アーノルドはあっさりと呟いた。
 ようやく思い出した。自分の標的はハル、そして息子であるトレインの捜していた女もハル。
 納得してアーノルドは、導いた答えに呆れた。

 あいつロリコンだったのか? ――シリアスを台無しにする男だった。

「親父……何が何だかさっぱりだが」

 トレインは街角に立っていた。朝の噴水の淵で、銃を手に。
 まさかハルの命を狙う者が親父だとは思っていなかった。
 アーノルドは、手の中の銃を降ろそうとはしない。惑う気は無さそうだ。

 親父の恐ろしさは、誰よりも良く知っている。
 自分は勿論、ハルやアリバーをも軽く凌駕する化物だ。
 まともにやり合って敵う相手ではない。そもそもどんな顔をして親父を撃てというのか。
 だが、それでも。

「ハルには手を出すな」

 トレインはアーノルドに銃を向けた。
 戦い以外の解決があるとしたら、それをできるのは自分しかないと信じて。


「ク、ハ、一体どうしてこうなった」


 歓喜は彼の口の中で響き渡った。
 思わず漏れた言葉は、回りの誰かが聴き取れただろうか。
 恐らくは誰も気にしていない。

 研究者教会を出た先の道でその男は空を仰いでいた。
 ランクルト、彼の部下、そして彼に合流した国軍はこの光景を目の当たりにしていた。

「……満月の害獣、……奇跡を握る少女、……伝説の狙撃手、……そしてその二世」

 それらが一触即発。
 希望的観測どころではない。まったく、この騒動はどこまで現実を裏切るというのだろうか。
 だからこそ、だからこそやめられない。

「……逃げたい弱卒は今すぐ逃げ出せ! これを鎮める勇士こそ私について来い !! 」

 ランクルトの指令は、尻込んでいた兵をどれほど驚かせたか。
 尤も、彼の判断はただ研究者協会での戦線から導かれていた。

 最初から臆病風に吹かれているような、使えない兵は要らない。
 作戦行動に支障を来たす駒は、相手に付け入る隙を与えるだけだった。
 ことごとく今回の標的に物量作戦が通用しないのは、見ればわかる。

 国軍長官としてのミッションは、騒動を見事治めること。
 青い妙薬チーフとしてのミッションは、ハルの身柄の確保。
 そして……。

 これら全てを同時にこなすのは困難を極めるだろう。
 だが敢えて挑む。壁は険しい方が、登った先に待つ朝日が輝くのだから。



 街に逆巻く暗雲を生む、ハル、トレイン、シルビア、アーノルド、ランクルト。

 ナードニックの鐘が、計ったかのように打ち鳴らされた。

 一斉に動き出した者達が影になる。

 誰かが大きく跳び上がり、誰かが地へと降り立ち、誰かが走り出し、誰かがゆっくりと歩み、

 銀の月はゆっくりと雲の陰に隠れ、街は深き闇に落ちようとしていた。



*――――――――――――――――――――――――――――――*

後書き、注訳集、感想はこちらに
http://crystals.blog.shinobi.jp/Entry/171/
メンテ

SPRING×SPRING * 2( No.87 )

日時: 2007/08/06 17:37
名前: クリス
参照: http://crystals.blog.shinobi.jp/
情報: tph1adg051.tky.mesh.ad.jp

 ―2―



「結局アレは一体何だったんだ」
「オイラは夢だったと願いたいッス」
「だから何が起こったのかって訊いてんだよ!」
「もーうー訊ーかーなーいーでー欲ーしーいーッス!」

 後から遅れて、この二人もナードニックに分け入っていた。
 (自称)盗賊王になる男エリック。
 及びその弟分のジョン。
 なにやら街が騒がしいが、二人にとっては知った事ではなかった。

 あれからすぐに復活したエリックだったが、カチュア=ウォルレアーニという名の少女(誤認)は、その小屋に居なかった。
 少女は居ない。狼も居ない。手掛かりが無ければ行く先も無い。
 されど、ただ立ち往生するのは性に合わない。こうして二人は街へ戻って来たのだった。
 これからすべきは、例のタダ部屋に戻っての作戦会議か。

「畜生、俺とした事が」
「何も喋らない方が良いッス兄貴、腰が砕けてないのが奇跡なんスから」
「あたぼうよ、小さい頃から畑作を手伝って……って、んなこたぁどうでもいい!」

 乗りツッコミと同時に兄貴チョップを炸裂させる予定だったが、腰のダメージが重かったせいか、空振りさせたエリックはそのまま地べたへ転がった。
 まるで演出のように街の鐘が鳴り響く。

「言わんこっちゃないッス」

 ひっくり返っているエリックを起こすべく、ジョンは手を差し伸べた。
 だがエリックはすぐに手を取らず、虚空を見つめた。

「こいつは何の冗談だ」

 彼は街角の広場から空を仰いだ。見晴らしが良く、何かが見えた。

 白銀の獣が、月夜を背にして宙を往く。間違いなく先程の狼だ。
 フラッシュバック。あれはやはり夢ではなかった。

 目を剥く間もなく、教会の尖塔から何者かが跳び降りる。おぼろげな明かりに橙の髪が煌く。まさかと思った。アリバー盗賊団の壊滅前夜に突如と姿を現し、カルバージ邸を散々荒らし、かのアリバーを御用にさせたかもしれない少女と再び合間見えるとは。

 ふと総毛立つような気配を感じ、エリックは煉瓦の建物を振り返った。
 その窓には誰も居ない。だが窓ガラスは割れている。確かにとんでもない者がいた、そんな気がしてならない。
 一体何者が……とエリックが細々と呟くと、今度はジョンが息を呑んだ。

 広場の脇を誰かが駆けて行く。
 その男は、以前にカルバージ邸の野外で仲間を瞬く間に撃ち抜いていった銃士と瓜二つだった。そして手中のスナイパーライフルを見た時、まさに本人だと確信した。
 (なぜ自分が撃たれなかったかは分からず終いだったが)当時の恐怖が鮮明に蘇る。

 さらに、遠くからガツガツという重い響きが伝わってきた。
 振り向き目を凝らすと、街の奥からこちらに向かって何かが押し寄せて来ている。
 軍隊だ。甲冑の国軍がこちらを竦み上がらせるような士気で迫っていた。

「じ」

 狼、少女、謎の気配。
 押し潰されそうな空にエリックが呻く。

「じ」

 銃士男、軍隊。
 足が竦んで雁字搦めになった地にジョンが泣く。

「仁義なき戦い!」

 エリック、ジョン両者の脳裏を強烈なサウンドが駆け巡った。



 *   *   *



 教会の尖塔から跳び下りたハルは、一目散に標的へと駆け出した。
 この戦いに僅かでも勝算があるとしたら、最初の狙いは決まりきっている。

 標的まで目測で百メートル未満。この脚なら四秒と掛からない。背を向けて移動しているターゲットはまだこちらに気付いていなかった。
 ハルに五十メートル圏の侵入を許したところで、標的が気配を読み取り、振り向く……が、もう遅い。
 同時に跳び上がって姿を闇に暗ませ、着地の座標は完璧。咄嗟の出来事に判断の遅れた相手は為す術もない。

 渾身のローリングソバットが、トレインの横面に斜め上から直撃した。

「ハ、ドゥ !? 」

 情けない声を捻り出してトレインの身体は二回転。地でさらに一転してぐっふりと煉瓦を舐めた。
 ハルは不機嫌そうにして、意識を飛ばしたトレインから自分の荷物をかっさらう。叩き起こしたのは行き掛けの駄賃だ。

「あんたね、幾らなんでも遅過ぎんのよウスノロ」

 とは言ったものの、目を回したトレインには聞こえてなさそうだった。

「もう少しで殺されちゃうとこだったじゃない」

 ハルの小声は口の中でそっと震えた。一方トレインは、死ぬ、死ぬと連呼している。

 白いバッグを開き、ハルはその最も奥から、細い筒のような金属体を取り出した。
 右腕の肘を機能的に開けて、何やらハルは自分の中身を弄っている。それを見ながらトレインはよろけて立ち上がった。

「状況を教えてくれないか」

 手短に出来れば分かり易く、とトレインは付け足す。
 ハルは間髪入れずに即答した。

「あんた以外、全員が私の敵」
「そりゃ涙が出るほど分かり易い」
「どういたしまして」

 悲劇で感激な大絶賛を受けたハルは、調整の副産物をバッグに仕舞う。三本のワイヤーをボビン状に巻き付けた補助パーツだった。
 ハルは顔を伏せる。ようやくトレインと接触できたのだ。今こそ問わなければならない。

「それで、あの男の事なんだけど」

 訊いたはいいが、既にハルは答えを弾いていた。
 トレインが現れた時、彼は例の襲撃者に何と呼び掛けたか。

「あれは俺の親父だ」
「やっぱり……」

 続く言葉をハルは探し出せない。この状況とはいえ、父親を敵に回せとは言えるはずがなかった。
 ハルが俯いていると、その肩に手が乗せられた。

「あいつは俺に任せろ」
「えっ?」
「いいか、聴くんだ」

 至近距離で(思わず)上目遣いなハルに、トレインは諭すように言った。

「あれはこの世のモノとは思えない怪物だ。本気でドンパチやろうものなら俺ら二人とも瞬殺される」
「それじゃあ……!」
「だから、争うのを避けるしかないさ」

 あとは言わなくても理解できる。その為には、トレインが一人でやり込めるしかないのだ。例えこの先どんな窮地に陥ろうとも、予測した上で自ら赴かなければならない。

「一人で、やれるの?」

 あぁ、とトレインはハルの肩から手を外し、銃を握り直した。

「足止めでも何でもやってやるさ……ハル、他に敵はまだいるんだろ?」

 トレインは暗に、ハルは何をするつもりなのか問っていた。
 全員が敵だという勢力図を把握する為でもある。

 ちなみにだが、ハルのポニーテールを降ろして上目遣いだった姿は妙に貴重だと思ってしまった。
 だから、バッグからいつものゴムを取り出して少し残念だったりする。

「信じ難い話だろうけど……狼男のシルビア。
 この街の軍隊を統率している男、フラ――ランクルト」

「今噛まなかったか?」放っといて、とハルは一蹴した。
 本人が過敏に反応していたから、つい印象に残ってしまったものだ。敵の分際でどうしてくれよう……というのは集中の散漫だった。
 髪を一つに束ねるゴムをきゅっと縛って、ハルは気を引き締める。

「ランクルトは私と因縁がある。でも」

 ハルは災厄の象徴を見上げるように月を睨んだ。
 満月の夜に降って湧いた不幸。
 そこに立つのは、強かに望む青空色の瞳に、後ろへ流れる橙色の束ね髪。普段のハーリナクス=エルフォニアが月光を浴びて佇んでいた。

「私はシルビアを倒しに行く」

 始末が悪いのは軍隊より猛獣だ。それに何より、真っ先に討たなければカチュアが浮かばれない。
 敵うかどうかは未知。だが、やらねばならない。その為の手筈も揃えた。
 これで動向は確定。

「その間、俺はまたハルを一人にする事になる」

 離れ離れにならなければ、守れない。果たしてその選択が本当に正しいのか。
 決断が下せなくて、確認するようにトレインは言う。

「うん、お互いの役目を果たしたら。また落ち合おう」

 ハルは自信げに言って、手を伸べるのだった。。
 それはトレインを安心させる為だったのか、それとも彼を信じているが故なのか。
 いずれにせよ、迷いは吹っ切れた。

「約束する」
「またこの場所で、ね」

 繊細でしなやかな手、広く分厚い手、パチンと弾けて擦れ違った。

「トレイン……」

 何か言おうとしたハルを遮り、トレインは銃を突き出して怒鳴った。

「行け!」

 ハルの順応は迅速だった。
 発砲音が鳴る頃には足元を踏み砕き、銃弾とは真逆に身を放つ。
 ちらっと一瞬、振り向いても、もうトレインはこちらを見ていない。恐らくは現れた敵を。

 だが、今さっき約束したばかりだ。必ずこの場所に帰って来いと。
 身体の底が何だか暖まる。その正体が未だにわからないハルだが、トレインが味方で、彼に再び逢えて良かったと思った。



 *   *   *



 シルビアは最初の獲物を選別すべく、街をさまよっていた。
 考えている事は単純明快だ。最初に鉢合わせした者を八つ裂きにするだけである。
 少女だろうが銃士だろうが軍隊だろうがチンピラだろうが構わない。
 狩る。それだけが彼の唯一の目的なのだ。

 黒曜石色の瞳には、銀色の光が注ぎ込んで来る。輝きが心地よくて、シルビアは繰り返し月を見上げていた。

(……?)

 何度もその月を眺めているからこそ、一つの違和感にシルビアは気付いた。
 銀の月。その月に忍び寄るように、黒い雲が空を這って来ている。

「ちッ」

 理由もわからずシルビアは舌打ちした。何かが気に入らない。感じたままに述べるのなら、高鳴る心音にノイズが入るような。
 大事なことを忘れているような気がするが思い出せず、苛立ちはさらなる不快感を呼んだ。
 このままでは堪え切れずに人間を片っ端から引き裂いてしまうかもしれない。

「全員皆殺シ決定ぃ、ってソイツは最初ッからじゃねェか!」

 自分の思考に乗りツッコミを入れる末期症状に陥っていた。
 色んな意味で危ないシルビアは獲物をひたすらに探す。
 辺りには硝煙の匂いが漂い始めた。鼻が役に立ちそうにない。
 一般人が見当たらないのは、月一度の周期で警戒しているからなのだろうが、今になってはそれすら頭に来る。

 そこに急接近する風のざわめきを、敏感な聴覚が捉えた。
 むしろ本体は風よりも迅い。先に届いた微々たる音を引き裂いて、小さく苛烈な存在感が背後から突っ込んで来る。

 背後を視認するよりも先に腕を上げ、強襲を防ぎつつもシルビアは正体を知る。
 三度目の少女だ。髪を一つにまとめているが、見紛うことなくハルである。
 斜め上から、後ろ回し蹴りの体勢を取っている。

 野生の勘と反射でシルビアは、守りに回したばかりの腕を強引に薙ぎ払いにした。
 ハルはそれを低い角度から、かちあげるようにして足で弾く。
 下に自ら打ち落とされた方向転換で爪を潜り、ハルは地の煉瓦を削りつつ距離を取った。

 奇襲は通用しない、が一撃を回避することには成功した。
 ハルは勢いを殺しきって、戦えると意気込み、さらに大きく距離を離した。

「ンなに俺に殺られてェのか、ドエムかよォテメェはよォ」

 言動とは裏腹に、待ちわびていたかのようにシルビアは息を吐いた。

「そういうアンタは喋るだけで常識が無いのかしら」

 三度目の正直で、少女と野獣は決着を付けようとする。
 照らす月は相変わらずとは言わず、ほぼ深い雲に侵食されていた。
 シルビアは何だかハルも様子が違うように感じた。
 教会の尖塔に立っていた時は、背水の陣にも似た気配を滲ませていた記憶だ。今の彼女は逆に、未来へ希望を感じている。そのような目つきだ。単に髪を束ねただけの違いでないことは明白だった。

「アンタが一番滅すべき汚物だって話よ」

 酷い言われようではあるが、そんな風に糾弾する姿を、肢体を蹂躙するとなれば楽しい話である。

「そンの汚物に喰ヮれちまったらザマァねェけどなァ!」

 先に動いたのはシルビアだった。
 人体を大きく凌駕する瞬発力で真っ直ぐにハルへと疾走する。
 ハルも出遅れてはいない。呼応するように一瞬で最高速を引き出した。

 音静かな煉瓦通りの外観は、一息で流れるおぼろげな背景となってしまう。
 なおも視界の中で鮮やかに際立つのは、お互いに最高速で接近せんとする銀と橙の煌き。

 強靭な肉体と孤高の脚の間では、

 人が対峙する如何なる間合いも無と化す。

 ――相対速度、秒速四十メートル以上での衝突!

 思考などでは到底間に合わず、一方の判断ミスは敗北に繋がる。それは文字通りの瞬殺が繰り広げられる、常識を踏み外した戦いだった。

 流れる景色の倍以上も迅く接近する正面の存在が、ぶれる輪郭で腕を下げる。
 ここしかない、そのタイミングでシルビアは爪を見舞った。
 ハルの目が軌道を凝視する。対抗手段を取れていない。

 居合いを受けたように、細い身が瞬く間に切り裂かれる。

(外したッ !? )

 直撃したはずだった身が、霧に触れるかのごとく手応えが無かった。
 この至高の勘が、間合いを誤る訳がない。ならば何故。

 ハルの思惑は成功だった。
 トップスピードを維持して低空衝突すれば、相手は突入速度で場の流れを固定するに違いない。
 だがハルには速度計算を狂わせるトリックがある。片腕に残した三本のワイヤーを煉瓦に引きずる事による、たった一瞬を遅らせる程度の微妙な減速。

 本来なら誤魔化しにさえ役不足であり、煉瓦の研磨音を聴けば見破る事のできる子供騙しだ。
 だが、この世界においては一手のタイムラグに匹敵し、看破するのに必要な情報処理を許される時間が圧倒的に足りなかった。

 そしてこの戦いでは、一方の判断ミスは敗北に直結する。

 シルビアの懐に潜り込んだハルは、勢いの全てを上昇力に変えて、前傾の相手を真下から吹き飛ばした。
 ハルは前回の敗因を忘れてはいなかった。

 反作用ベクトルを容易に生み出せる上からは、地表を攻撃するべきでない事。
 必殺想定の攻撃には直後に隙を生む事。
 さらにもう一つ、

「空中じゃ、歯ぁ食い縛るしかないでしょ!」

 舞い上がったハルは、無抵抗に打ち上がったシルビアを追い越し、出したままのワイヤーを駆使して真上に張り付いた。
 性能、経験、発想、機転。あらゆる力を惜しまず用いた不屈の信念がシルビアを抑え付ける。

(まだダ……)

 内蔵を直接叩かれたかのような軋みを感じながら、シルビアは一瞬たりとも戦意を放しはしなかった。
 ハルは三本のワイヤーで、こちらを封殺した気になっているのだろう。ここに来て構えが隙だらけになっている。
 シルビアは吼えた。
 腕に絡みついた鋼の紐を、自慢の怪力でさらに身へ巻き取ると、ハルの身体がぐらりと傾く。

「くっ!」

 このまま、ハルを引き寄せて墜落すれば、零距離での地上戦という展開に持ち込める。
 重力に引かれて上昇を止めた事を知り、次の手を必死に模索するハルの表情は攻めの色を失っていた。
 シルビアの眼がぎらりと光り、これから苦痛に歪むだろう顔を、遅れてふわっと浮いたポニーテールを、その奥に漂っていた月を、

 もとい、月を完全に隠した暗雲を見た。

 こんな美味しい展開なのに、一体何だというのか。
 シルビアの全身を貫き走った感覚は、悪寒とも歓喜とも付かない解放のノイズ。

(何、だッ !? )

 直感で危機を感じ、ハルをこの場で仕留めようとシルビアは動こうとして、動けなかった。
 身体が動こうとしていない。腕が弛緩している。
 ただし、麻痺毒に似た痺れではなく、まるで命令が行き届いてないかのようだった。

 脱力したシルビアを見て、ハルは咄嗟の判断を鈍らせる。
 だがすぐに好機と認識して、ワイヤーの伸びる肘へ別の手を突っ込み、部品ごとワイヤーを腕から切り離した。

「今更何のつもりか知らないけど」

 打ち上げる際に叩いた場所へ、もう一度足裏を押し付けて別れの言葉をハルは告げる。
 ほのかに鼻へ届いたのはカチュアの香りか、シルビアの瞳の奥にもう戻らない何かを見たような気がした。

「あいつは二度と帰ってこないんだから!」

 両足の最大解放による衝撃で、シルビアは真下の街へ、ハルは天高くへ吹き飛ばされた。
 シルビアは一切の反応をできぬまま、背中から真っ逆さまにナードニックへ墜ち、煉瓦の民家の屋根へ叩き付けられた。
 持て余した激突はそれで満足せず、煉瓦の屋根だろうが微塵にする。結局、屋根に特大の風穴を造って自身もその崩落に呑み込まれる末路を遂げた。

 一方ハルは、あの暗雲に突っ込むのではと思うほど、どこまでもぐんぐんと身を飛ばした。
 こんなにも本気で跳んだのは、恐らく初めてだ。

 ハルは、最初にシルビアへ一撃を与えた時の絶叫を、理解できた気がした。
 悲しみを生み出す元凶への、この身が代弁する天誅。あの時は感情任せだった攻撃を、今度こそはっきりとした言葉を載せて食らわすことができた。

 終わった。煉瓦の屋根へその身を激しく打ち据え、力なく落ちて行くまでを見届けたのだ。
 致命傷でなかったとしても、例え本調子が戻ろうと立ち上がる事はできはしない。
 事実上、再起不能だ。

「カチュア、あなたの事、ぜったい、忘れない」

 再び重力に捕まり、遅れる蜜柑色の髪と共にハルは街へと降りて行く。
 ナードニックの街を眼下に見下ろし、この景色を、この日の戦場を胸に刻み込むんだと決めた。
 これだけの自由落下が無ければ、ハルは胸に両手を添えていた事だろう。

 最も事実を受け止めるべき者は、シルビアではなく彼女自身なのだ。
 奴を闇に葬れば、一連の全てを知るのはハルしかいない。
 ならば彼女がこれを受け入れずに、誰がカチュアの無念を晴らせよう。

 シルビアがこの戦いから脱落したのを確認したら、ひとまずの区切りがつく。
 孤高の落下から路面に降り立ったハルは、同じく足元の煉瓦を粉々にして転びそうになった。
 少し風に流されたものの、ほとんどシルビアと違わぬ地点に来ている。

 二、三ほど屋根を跳躍で乗り継ぎ、例の風穴へと到達した。
 倒した自信はあるが、ハルは用心深くその穴を見下ろして覗き込む。

 そこには目を疑う光景が待っていた。

「……どういう、こと?」

 解釈不能な事態をありありと見せ付けられ、ハルは考えもなく建物の中に飛び込んだ。
 今までに感じた恐怖や怒りとは違う、それでいて未知への不信と焦燥感。

 砕けた煉瓦の散乱した墜落現場。
 その中心で動かない、一つの人影。

 破れ気味なジーンズを穿き、ワイヤーを三本腕に巻き付けて、うつ伏せに倒れている。
 しかしその姿は狼男ではなかった。
 首のあたりで寄っている茶色の髪は、その付近で結んでいた証拠。
 狭い背中に細い腕をした体つきは、胸のない少女に見える。

 そんな少女と見間違うような少年は、ハルのよく知っているカチュア=ウォルレアーニそのものだった。



*――――――――――――――――――――――――――――――*

後書き、注訳集、感想はこちらに
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メンテ

SPRING×SPRING * 2( No.88 )

日時: 2007/08/30 22:20
名前: クリス
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 ―3―



 ハルの言葉を遮り、トレインは無我夢中に叫んでいた。

「行け!」

 彼女の頭の回転は早い。引き金を弾いた時にはスイッチが切り替わり、発砲音と同時に駆け出していた。

 つい今、傍に居られたと思っていた少女は遠く背後。けれど振り向くわけにはいかない。
 遥か前方に姿を見せた男こそ、他ならぬアーノルドだったからだ。
 目を逸らせば、一瞬で捻られてしまう。

 アーノルドへ向かって真っ直ぐに飛んだ回転弾は、狙いを全く外さず彼の足元を掠めた。
 牽制にみじろぎ一つしないのは、奴が見切っていたのだと認めざるを得ない。
 大胆不敵という風貌を冠し、ずかずかとアーノルドは歩み寄ってくる。

 カルバージ邸の死闘こそが過去最大の戦慄だと疑わなかったトレインだったが、その記録はどうやら非情にも塗り替えられたようだ。
 銃魔。サウザンドブリッツ。世界的な二つ名を与えられるには、必ずその世界を揺るがした背景がある。
 今もなお健在の伝説に対峙しているなら、どうすれば指先が震えずにいられよう。

 トレインはがっしりと銃を握った。落ち着いて弾を装填すると、固く冷たい銃身が精神を戦場に引き戻す。
 戦わねばならない。伝説と、父親と。
 ハルを死なせない為には、真っ先にアーノルドがこの戦闘から退席してもらうしかないのだ。
 それができるのは、アーノルドとまともな会話を交わせる自分だけだ。

「どうしてハルを狙うんだ!」

 息子は立ったままに叫び、父親は我関せず歩を進める。

「んなもん知るか、俺は雇われだ」
「撃つのは親父だろ、あんたの銃は金で人を殺すようなものだったのか!」
「あァあァ、テメェ勘違いしてんな」

 怪訝な表情をトレインは作る。
 今の問いかけに落ち度があったとしたら、一体何が違うというのか。
 説教するような威厳でアーノルドは言った。

「ガキは黙って大人の世界ってのを見ていくもんさ」

 アーノルドとの距離は、初撃の半分ほど(相当な遠距離だったが)にまで狭まっていた。
 親子は接近するほどに緊張が痺れを増す。その中で何も恐れが無い銃魔が、ためらいなく距離を詰めて行く。
 トレインは目まいがしそうだと感じた。
 対峙の威圧だけでこれだ。奴の底知れぬ氷山の一角に気圧されていては、話にならない。

「納得できるか」
「あん?」
「ガキだからで退き下がれるか! 訳も分からない理屈でハルは差し出さねぇ !! 」

 例えどこにどのような事情があろうとも、自分は一人の罪無き少女を守り抜く。それだけが唯一にて絶対の正義だと、己に言い聞かせるように。
 宣言がアーノルドまで届いた時、なぜか奴の表情は誇らしげだった。

「そりゃそうか、そうだよな。納得するほどヘタレに育てちゃいない」

 浸っているアーノルドが、銃を抜く気はまだ無さそうだ。
 機会は今かもしれない。トレインは本題を切り出した。

「親父、俺らの争いに弾は要らない。狙うのがハルだとしても、話せば何かが見えてくるはずだ」
「生憎だが、さっさとあの嬢ちゃんのところへ行かせてもらうぜ」

 アーノルドの即答はむしろ、清々しいほどだった。考慮する点が一切なく、自らの意志だけを貫こうとしている。
 彼は続けてこう放った。

「そっちの方が手っ取り早い。例え……立ちはだかったテメェをボッコボコにするとしてもな」

 足元で蠢いていた怖気がトレインを襲い、瞬く間に全身を支配した。危機感は峠まで登り詰め、さらに夜の闇空へと舞い上がって行かんとする。
 考えうる最悪のパターンかもしれない。
 息子を問答無用に蹴散らし、何の障害も無くハルへと接触する。この場で食い止め、ハルを自身の戦いに専念させたいとするトレインからすれば、目標達成どころではない雲行きだ。

「俺の話を聞いてくれ、親父!」
「おどけるなよ。ブン殴ろうって気もない主張で、俺が止まるとでも思ったか」
「……こいつで語れっていうのか」

 トレインは向けるようにして銃を水平に伸ばした。
 ひとたび銃口が息吹を生めば、そこから先は情け無用の殺し合いだ。戦いを避ける希望は恐らく絶たれる。
 本当は認めたくないだけで、アーノルドには妥協点が無いのだと、トレインは気付いている。戦争の最前線で意のままに暴れ回り、帰還したような男が、気分で方針を変えるような人道を辿っているものか。

「フン、精々やってみろ。テメェに俺が倒せるわけがない」

 奴が言う事はもっともだ。この戦いに賭博が張られるとしたら、トレインの勝ちに何千倍の配当が付くのやら。
 伝説と、トレイン自身が知る人物像と、どちらを取ってもアーノルドの完封は明らかだった。

「勝てねぇ……? なら、腕一本殺る」

 対するトレインの言葉も綾ではない。
 自分は一度、ハルに命を救われた身だ。奇跡の花という念願の、本来自らを救済へと導くはずだった好機を棒に振ってまで。
 果たして自分は、この世の奇跡を用いるまでの価値が、あの少女にとってあるのか?

 トレイン自身が示すことだ。決して『彼女の奇跡』を無駄にはしない。
 この命を燃やしてでも、今度はハルを窮地から救い出そう。
 そのためなら、アーノルドが、サウザンドブリッツが相手だって臆せず立ち向かえ。

 例え傷付いて力尽きても。彼女の命の礎となれ。

 ならばアーノルドは、敵だ。
 親父だろうが何だろうが、金で人を殺めるような銃士は、その腕を潰してしまうのだ。
 覚悟を決め、トレインは銃口を敵へと向ける。二人の距離は既に、狙撃手の戦いにしては十分なほど詰められていた。

「そういう問題じゃねぇっての」

 相変わらずアーノルドは、何かを知っているような口ぶりでトレインをいなす。

「テメェは俺の敵にすらなってない」

 言って、アーノルドは猟銃を傍らに放り捨てた。
 物騒な鋼が滑稽な音を立てて、街の煉瓦の上を転がって行く。
 得物を捨てた銃魔は丸腰になって立ち止まった。

「何のつもりだ」
「こいつは普段は使うつもりがない特別製でな」

 放られた猟銃が目に留まっているうちに、アーノルドは別の銃を取り出していた。
 拳銃ほどのサイズだが、この暗い街路でもはっきりと見える青く輝く銃身をしていた。まるで玩具に見える。カチカチとトリガーを引いても、青い銃はウンともスンとも言わない。
 あの銃は、一体。

「簡単に説明すりゃ、テメェを半殺しにするのには丁度良いってこった」

 半殺しとは、ゴム弾でも撃つつもりなのだろうか。
 だが、トレインの本能は何かを訴えている。あの銃は違う。トレインはある種の研究員に似た、専攻分野における新発見に立ち会うような緊張を憶えた。

「させるわけ――」

 トレインはその発砲を許さない。これほどの男を相手にするなら先手は必勝、反則は上等。
 用途が何だろうが、弾の出ない銃など鈍器扱いが関の山。ただの鉄だ。
 リロードもされていない銃、即ち無抵抗なアーノルドへとスナイパーライフルを向ける。

「ねぇだろ!」

 狙いは右肩。トレインは、この強襲によって本気で持って行く気だった。
 アーノルドは全く動じず銃を向け、トレインの発砲とほぼ同時にトリガーを絞る。

 ライフルの発砲音に重なり、弾の出るはずのない銃口が、カッと青白く火を噴いた。

 棒立ちでトレインはその有様を見せ付けられた。
 放火された何かは銃口から光の帯を迸らせ、人用銃器でも最高威力のSライフル照射をものともしない、絶対の一直線を描いて遠く後ろへ消えて行った。

 ドン! という地上で花火が爆発したような音が鳴り響く。
 光の弾道を追っていたトレインは、背後で起こった出来事を直視していた。
 謎の発砲物が着弾したのは建物の壁煉瓦だ。そこから何か不可視の力が煉瓦をたわませた、次の瞬間、内側から弾け飛ぶように数ブロックが粉々になってしまった。

「な……!」

 トレインは再びぎょっとした。銃を心得ているからこそ、今の狙撃を人に着弾させたらどうなるか、鮮明に想像できてしまったからだ。
 噛み砕いて解いておこう。煉瓦を粉砕したのだ。それより柔らかい物体は爆破四散するに決まっている。
 それに、砕き方も異常だ。
 一点から広がった亀裂ならまだ理解できる。だが今のは、着弾点を中心に直径三十センチを巻き込んだような破壊だった。これを弾痕としてカウントしていいのか、それすら判断をしかねる。

 巻き上げられた煉瓦の粒は壁の周囲五メートルほどに飛散していた。
 辺りからはどよめきが漏れ、街の混乱を囁いている。

「ハッ、今のは挨拶だ」
「おいちょっと待て、今のは」

 単なる動揺と呼び掛けはタイムロスだった。
 アーノルドは、言葉を添えつつも本番の攻撃を照準している。

「戦場にマテは無ぇ!」

 引き金を絞り、二撃目の宣言が闇夜を震わせる。

 トレインは怒涛の展開を、最低限の思考で処理した。
 未知のスペックと壮絶な火力、考慮の余地無し。
 銃口の定めとトリガーの指。その構えは〇.三秒後に、自分の足元手前およそ一メートルの位置へ着弾する!

 彼がリアクションをする間も無く、銃弾というあまりの速さに光線と化した一撃が、トレインのすぐ目の前へ突き刺さった。

「!」

 足元で拡散する光が、そのまま煉瓦通りを同心円状に抉り飛ばす。

 煽られた煉瓦の破片が、決して薄くはない衣服越しに脚を抉る。と思ったのも束の間、衝撃波に掻き乱された空気が渦を巻き、トレインをも巻き込んで空を歪ませた。
 身動きの取れないトレインに襲い掛かるのは、砕かれた煉瓦の嵐。粉々といっても大きい物は拳ほどもある。額へ欠片が直撃し、意識そのものが揺さぶられ、トレインはライフルを手放してしまう。

 辛うじて身を屈め、袋叩きから解放された時、彼の身体は地上三メートルにあった。
 背中から煉瓦通りに打ち付けられ、極めつけに煉瓦の雨が降り注ぐ。それでも目が眩みそうなトレインが目つきを変え、三メートルから頭に直撃する塊を一つ、抜き放った拳銃で撃ち除けた。

 たった一手でこの破壊。抵抗すら間に合わない圧倒的な暴虐。ガツンと傍らに、手放したスナイパーライフルが転がる。
 額からぼたぼたと血を垂らし、息も絶え絶えに口を開いた。

「答えやがれ親父。そいつは……ありえねぇだろ」

 銃を扱うトレインは、大体の専門知識がインプットされている。
 歴史上のガンスミス個人や銃の生産ラインのブランドから始まり、フォルム、装填数、射程範囲、精度、反動、部品構成、その他様々な背景。
 実際に触っていないので、性能の一部は把握していない面があるのだが、一通りの学習量はカバーしている。
 それは、軍隊を出ているアーノルドに教え込まれた事だ。

 だが、今見せられたそれは話に聞いた事もない。
 何の嫌がらせか、本人が持ち合わせているくせに。
 トレインの率直な感想通りに、その銃は全てが、彼の知識で有り得なかった。

 第一に外観が有り得ない。
 銃に語り継がれる尊厳も特性も、全てを切り捨てたようなフォルムは、素人のガンスミスが打ったにしては理論を詰められ過ぎている。
 その次に銃の仕組みが有り得ない。
 あれの内部がどうなっているかは知らないが、アーノルドはどう見ても装填をしていなかった。使う気の無かった銃に、あらかじめ弾を込めるような真似をするだろうか、否。

 そして何より、銃口が吐き出した異物が有り得ない。
 不可視の速度ゆえに青白い光線となっている軌道は、何が込められているのか全く理解できない。
 単なる鉛玉と発光物質というこけ脅しだとしても、あのふざけた着弾の破壊をどう説明しろというのか。

 だからトレインは、有り得ないと同意を求めた。
 こんな銃が世に存在してしまっては、銃の歴史は天と地がひっくり返ってしまう。

「そうさ、こいつは有り得るはずのない際物だ」

 手の中で遊ぶように回し、青く精巧なフォルムが一輪の何かに見えた。

「不可能を象徴する花――《青き薔薇〔ブルーローズ〕》って俺は呼んでる」

 そういえば、ハルが言っていたような気がする。
 天然の交配ではあまりにも生存力が弱く、種を広めるどころか花を咲かせることもままならない。
 青いバラの花は、星ほどの人がその存在を望み、咲くことの無かった不可能の象徴であると。

 トレインは膝立ちからゆっくり立ち上がり、青色のフォルムをまじまじと見つめた。

「万に一つも有り得るはずがないと思われてきたブツが、ここに存在しちまってる。そういうのをどう思う?」

 問われて、思い浮かんだ答えは一つしかない。
 今まで自分は、ハルは、どのような物を求めてきたのか。
 存在を認められない希望が具現化した際の、人々の呼び名は。

 トレインは首を振った。あれは花ではなく、銃だ。

「奇跡なんて素敵なカテゴリじゃないな、物騒にも程がある」

 そうかい、とアーノルドは軽く答えを受け流した。

「なんてことはない。鉛球要らずの魔導銃ってやつさ」



*――――――――――――――――――――――――――――――*

後書き、注訳、感想はこちら
http://crystals.blog.shinobi.jp/Entry/227/
メンテ

SPRING×SPRING * 2( No.89 )

日時: 2007/09/04 18:08
名前: クリス
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 ―4―



「……まさか魔導なんてワードが飛び出すとは」

 トレインは妙に納得しながら、感嘆を漏らした。
 それは、魔導という単語によって先程の破壊力に説明がつくことと、ある意味で突拍子も無い噛み合わせであることから成り立っていた。

 ――魔導という概念は、この世で大陸を二分することになる。

 質量なき、未知なる力の発生源。
 魔導そのものを語るのは、この場では冗長であろう。大陸で捉えた魔導の背景に焦点を当てたい。

 魔導には、人により素質がある。
 史上に名を残す大魔導師が晩年を過ごした土地こそが、隣国のアレサード共和国であり、魔導の総本山となっている。
 今でも優れた導師はアレサードで量産され、それがそのまま国の軍事力とされていた。

 魔導に恵まれなかったのは、この地グラムバニエ皇国だ。
 地勢で劣る彼らは、いかに真似事をしようと総本山には敵わず、魔導による争いでは勝ち目が無かった。

 ならばどうするか。グラムバニエは発明と産業にアプローチを図った。

 魔導を学ぶ代わりに最新の兵法を。
 魔導を扱う手間を武器の修練に。
 魔導を開発する探究を、次世代兵器の導入に。

 その結果、術に必須な素質を問わない人海戦術と、何より産業の物資量によって、グラムバニエは世界最大の軍事国に君臨した。
 工業を担うグラムバニエ。一方、魔導を司るアレサード。
 魔導という概念は、こうして大陸を二分するに至った。中立国の存在や、諸国の細かい歴史は、また別の話だ。

 キーポイントは、互いの国の特性が相手に行き渡ることはなく、魔導と工学は相容れない存在であるという現実だ。
 仮に魔導兵器というジャンルが唱えられようとも、どこの研究機関もさじを投げることだろう。両国の最高技術でも実現するかどうかだ。
 技術の共有は、すなわち漏洩を意味する。両国からバックアップを受ける機関など有りはしない。

 ――トレインは苦い顔をする。まったく、一体どこで魔導銃などという代物が開発されたのだか。見当もつかない。

 じわりと舌に血の味をトレインは感じた。どこか口の中を切ったか、額からのものが唇へと届いたか。
 トレインは落ち着いて、あの銃の性能を吟味した。
 《青き薔薇》は、半殺しの道具などではない。あまりの性能に、副産物のオマケですら人をなぶり殺せる凶器と化す、禁断の殺傷銃だったのだ。それゆえアーノルドも、普段は使わないと前置きしていたのだろう。

「種明かしもした。覚悟はいいな?」

 押し黙り、トレインは痛みが引かない思考の中で懸命に考える。勝ち目は……。

「行くぞオラァ!」
(打つ手はこれしか……!)

 アーノルドが青い銃を構え、指を強く握り込んだ。
 ここぞとばかりに、トレインは溜めていた足の力で横っ飛びに動く。
 発火。光線と化した超高速発光物体が、先程までいたトレインの足元へ潜り込み、煉瓦を軒並み吹き飛ばした。

 《青き薔薇》の火力は銃と比べ物にならないが、ここ二回の攻撃で連射はしていなかった。
 もしや……初撃を凌げれば、勝機はそこにあるのかもしれない。動きの荷物となるスナイパーライフルを手放していた事も幸いした。

 余波の範囲は見越していたよりも広く、煉瓦の破片が逃避の身体を打つ。
 だが今が絶好の好機だ。敢えてつぶてに身を晒し、トレインは拳銃でアーノルドの手元を狙う。とにかく親父を止めるには、奴が銃を握れない状態にするしかない。
 爆発の余韻が消えぬ間に、新たな発砲音が街路に弾けた。

 アーノルドはフンと鼻を鳴らす。その男は《青き薔薇》を握っている手を軽く回し、空を切り裂いて飛来する銃弾をなんと銃身で弾いた。

「な !? 」

 トレインからすれば失態だった。その程度の銃芸が、アーノルドに不可能なはずがないと予測しなかった迂闊さ。加えてこのチャンスをものにできなかった致命的ミス。

 再びアーノルドが《青き薔薇》をこちらへ向ける。
 決死の回避をもう一度成功させるしかない。トレインは凝視し、アーノルドの銃口と指から着弾点とタイミングを読み測る。

 アーノルドがトリガーを絞り、トレインが避けるように飛び退いたのと同時、
 《青き薔薇》はカチと音を立てて空撃ちするだけだった。

(しまっ……)

 銃撃戦において、アーノルドに同じ手は通用しない。
 トレインが必死に伏せるよりも早く、今度こそ攻撃の込められた閃光が、向かう先の煉瓦を先回りして叩き割る。
 身を低くしていたのが幸いしたか、乱気流に飛ばされることは避けられたが、荒れ狂う煉瓦の嵐は容赦なくトレインの全身を打ち据えた。

「ぐぅ!」

 腕を回して頭を守るのが精一杯、となっているのも束の間。落下によるつぶての雨を、転がって避ける事を余儀なくされる。
 さらに追い討ちで《青き薔薇》の銃弾を打ち込んで来るアーノルド。
 とにかく地を這ってトレインは起き上がれるチャンスを伺った。

「こんなザマであの嬢ちゃんを守ろうってのか? 自惚れんじゃねぇぞ」

 銃声と破砕よりも鋭く、言葉が食い込んで来る。
 トレインは深く息を吸い込んだ。言われて黙ってはいられない。

「守るさ! そのためなら親父、ッおまえの銃も沈ませてみせる!」

 一方的な銃撃が、ぴたりと止まった。

(何を……?)

 トレインはここぞとばかりに起き上がる。アーノルドが次の発砲を用意してないのを様子見してから、傍に落ちていたスナイパーライフルも回収した。
 アーノルドは《青き薔薇》を持つ手をだらんと下げている。攻撃の意思は無いようだ。
 応じてトレインも銃口を足元へ下ろした時、アーノルドは口を開いた。

「まだそんなヌルいこと言ってんのか、青二才が」
「……何だと」
「このアーノルド様が手加減されるようなタマかって訊いてんだよ」

 トレインは反論することができなかった。
 情勢や戦局にとって様々ではあるだろうが、このような(武器には目を瞑るとして)典型的な銃撃戦の場合、相手を殺すことより、殺さない勝利の方が遥かに難しいのだ。
 言わずもがな、アーノルドを倒す事だって困難を極める。
 だが、トレインが狙っていた事は、決定的に詰められない差を倍にしているようなものだった。

「だとしても」
「オヤジは殺せない、か? 実力を見てから物を言えよ」

 むしろ半殺しにしようとしているのはアーノルドだ。圧倒的な力量差があるから、同じハンデで相手を押し切ることができる。
 奴に対して、対等な条件で戦うのは自滅とも思えた。
 しかし、トレインは譲ることができなかった。
 自分を何度も恐ろしい目に遭わせながら、乗り越えることによって今の力を与えてくれた父親に、引導を渡すなどできるわけがなかった。ハルの命と天秤に架けるなんて、考えてみたくもない。

 決断しようとしない息子に、アーノルドは呆れる。
 父親は、今この戦いも試練であるかのように、回りくどく問い掛けた。

「腕を殺すだの、んなナメた真似」

 見せ付けるようにして《青い薔薇》を手の中で回す。銃弾を受けたはずのフォルムは、全く傷付いていなかった。

「俺が相手で出来るとでも思ったか」

 先程の銃芸がある限り、彼の手は不可侵の防御に覆われていると。

「テメェの銃じゃ俺の腕は潰せない。もっとも、どんなアクシデントがあろうが俺にはもう一本腕がある」

 彼の言う通りだ。
 もはやアーノルドやトレインほどの銃士になると、利き腕の概念はない。狩猟で起こる万が一のため、両方利くように幼い頃から今まで生活し続けている。
 腕を潰そうなどという甘さの残る考えは、まったくと言っていいほど通用しない次元だったのだ。

 トレインは考えを捨てきれず、殺さずの道を模索する。
 ならば足はどうか。移動の足枷さえ与えれば、ハルならどこへでも逃げられるはず。

(いいや、駄目だ)

 奴が動けずとも、ハルはきっとこの場所へ戻ってきてしまう。好機を伺っていた銃魔に、むざむざ撃たれに来るように。
 アーノルドと対峙する寸前に交わした約束が、今更になって悔やまれた。

(それに、自分がハルを迎えられないでどうする)

 アーノルドは雇われである事を忘れてはならない。誰かが闇からハルを狙っている事実など馬鹿でもわかる。
 単身で逃げるなら、トレインでさえ行き先がわからないほどの逃げを打たなければならないのに、それ以降に追われるハルを一体誰が守るというのだ。

 本当に、アーノルドには手加減できない。
 だとすれば手は、食い止めるのではなく……。

「――ぁ、――しばる、――ぃでしょ!」

 思考を遮るように、繊細に透き通った声が、どこからともなく投げ掛けられた。
 上。トレインの聴覚がそう認識して見上げ、彼は夜空に何かを発見した。
 月明かりさえ暗雲が掻き消す中、並の視力では分別できないほど小さい影の、あの結び髪は。

(ハル、と…………なんだあの変態着ぐるみ男)

 この期に及んでトレイン節は健在だった。

「おうおう」

 アーノルドもこれに気付いていて、仰ぐように空を見上げていた。
 思わぬターゲットの再来である。
 非常に気の毒そうに、ニヤニヤとした表情で《青き薔薇》は頭の傍で回されていた。

「あの嬢ちゃん、随分と無用心に飛んだな」

 トレインは意味を一瞬で理解した。
 自分ならあんなものは、朝飯前に撃ち落とすことができる。それはつまり、自然とアーノルドが可能であることを肯定することになる。
 あれだけ距離があれば、並大抵の銃は射程外だ。しかし今アーノルドが持つ銃のスペックは想像を絶する。届くか否かの憶測は愚かに等しい。

 つまりアーノルドは、今すぐにでもハルを射殺できると言っていた。

「親父!」

 もはや奴は聞く耳を持たないだろう。もし本当に撃ち抜く気なら、言葉を交わしている時間は無いからだ。
 全てを悟ってトレインは銃を握った。
 逆手に取れば、この一瞬だけアーノルドの注意を完全に引けたなら、否応なしに好機を逃す結果へ落ち着く。
 トレインはスナイパーライフルに弾を装填し、ハルを視線で射抜く父親へと、銃口を向ける。

 ――『このアーノルド様が手加減されるようなタマかって訊いてんだよ』

 だが、生半可な攻撃でアーノルドを止められない。猫騙しのような牽制でこの男が止まると思えない。
 ……やるしかないのか。
 四の五の言ってはいられない。止められなかったら、ハルは死ぬ。絶望を刻まれ地獄を見せ付けられ、それでも奇跡という淡い希望のために立ち上がっている、あの健気な命が、こんな凶悪な武器の餌食になってしまう。

(俺がアイツを救えなかったら)

 ハルが奇跡を施すことによって救われた自分自身。

(俺は一体何の為に生きてんだ!)

 その自分が彼女にとって何も出来なかったら、あの奇跡に、『彼女の奇跡』に何の意味があったというのだ。

 止めるなどと生温い敵意は捨て去る。ハルを救う為には、アーノルドを消すしかない。
 ためらう余裕すら残されていなかった。
 アーノルドが黒き空に《青き薔薇》をかざす。たった一発の銃撃で天へ還そうとするように。

「やめろォォ!」

 トレインが狙いを照準する瞳は、アーノルドを父親と意識するものから一変、アリバーを撃ち抜く際と同じ目つきになっていた。
 より確実にアーノルドを殺害する攻撃を。魂なき機銃のように、無情に正確にロックオンされる。



 夜空を見上げるといつだって、あの風景が蘇って来る。
 空の一面を見渡せる崖で寝転がり、その背中を見つめていた。
 星に思いを馳せる、翡翠色の髪にトパーズの瞳。
 その面影が、ハルに重なる。



(もう俺は、恐れて立ち止まったりしない――!)

 想いに捧し命よ、弾丸となり敵を貫け。
 祈りを込めてトレインは、引き金を絞った。

 アーノルドの目の色が変わったが、トレインは既に止まる気が毛頭無かった。完全にトリガーを引けば、ライフル弾はアーノルドの頭を一瞬で吹っ飛ばす。初めて危機を察したアーノルドは、《青き薔薇》を引き戻し即座に発砲した。

 照らされ、光の中で、飛び交う蒼の凶弾。
 双方は意地がぶつかり合ったように衝突し、一瞬で光の矢が鉛を蹴散らす。

 そんなものは承知の上だ。眉間を狙われていたアーノルドの《青き薔薇》は、トレインのライフル弾と僅かに角度が異なっていた。ほんの僅かなずれ、それらの衝突が《青き薔薇》の光線を抉り上げ、
 トレインのライフル弾は低く捻じ込まれていた。

 相手の銃弾で矛先を変える、コンマ一秒、誤差一ミリを極める銃の冴え。

 弾かれ、吸い込まれる先は左腹腔。殺傷とまでは行かずとも、撃ち抜かれれば二度と立てない。
 刹那、アーノルドの凍りつく表情をトレインは垣間見た。

 トレインの背後頭上で《青き薔薇》の光線が建物を抉る時、
 しかし衝突によって殺された勢い、
 そのタイムラグが一手を生む。
 銃魔の、最初で最後の抵抗は。

 発砲した直後の得物、その陰となる腰元から青白い輝きが満ち溢れる。
 アーノルドのすぐ前方で光は空気を歪ませ、ライフル弾を完全に受け止めて消失した。

「……んだって?」

 トレインは目を疑う。アーノルドの風貌は、右手には眉間を守った《青き薔薇》を、左手には腹腔を守ったもう一つの青いフォルムを持つ銃を。
 嘘だろ、と思わず呟いてしまう。
 そもそも《青き薔薇》は二丁一対の双拳銃だったのだ。

「ようやく、俺の敵になりやがったな」

 というのは僅かに息を荒げたアーノルドの台詞だ。両手で《青き薔薇》を使わせてこそ、自分の敵だという事なのだろうか。
 否、そのような力量は些細な事だった。
 アーノルドは自らを殺さんとする攻撃に晒されたからこそ、合格の烙印を押したのだ。

 真剣勝負は始まりを迎え、そして終幕が訪れようとしていた。
 伝説に語り継がれる銃魔が、遂にベールを脱いだ事によって。

「う、おおおおお!」

 トレインは手の中にある拳銃でありったけの弾を撃ち出した。しかし所詮は無意味な抵抗だ。先程のように片銃で光の盾のようなものを張られ、銃弾を全て受け止められてしまう。

「今のテメェの覚悟――」

 アーノルドは二丁の《青き薔薇》を息子に向けて語り掛けた。
 万事休す。
 逃げ場所はどこにもない。拳銃はもう弾を切らしている。それでも諦めようとしないトレインは、神懸かりな手際でスナイパーライフルへ弾丸を込める。

 カッ、と。

 両手から《青き薔薇》のトリガーが引かれ、青白い光線の奔流が、リロードの構えを終えようとしていたトレインを呑み込んだ。

「忘れんな! バカヤロウ!」

 彼の正面、真っ直ぐに突き立った一撃が爆発するかのような破壊。
 全身を貫く衝撃は、臓物が破裂せんとする激痛を走らせた。

「がッ――ぁ――!」

 痛覚を痛覚として処理することもできない。さらに生まれる空気の渦に呑まれたトレインは、されるがままに吹き飛ばされ、拳銃もライフルも手放す。
 抉り込まれるような風圧が、突き抜ける衝撃が、何一つ防げずボロボロになった身は煉瓦の上を滑って行った。

 鋼の墜落する音が、戦いに終わりを告げる。
 一撃の余韻を物語るかのように、青い光がフッと闇の中へ消えた。

 Destroyer Blue≠サの名を破壊の青色。
 魔導双拳銃《青き薔薇》により、相手を粉砕する一撃必殺だった。
 トレインが散々見せられた通りに、煉瓦を粉々にするような破壊力が人体を襲うのだ。銃魔の伝説はこれに支えられたと言って、過言ではない。

 なれど、トレインはこの殺戮弾を受けてはいなかった。
 着弾すれば人体が吹き飛ぶインパクトを、敢えて、両弾がほんの手前で衝突するように解放させられ、余波だけを至近距離で食らっていた。
 さらには、下手をすればショック死するような急所を避けられている。これだけの加減は、アーノルドがもたらした僥倖とも言えよう。

 それでもうつ伏せに倒れたトレインは、指先一つも動かさないのだった。銃を握る力も無い。立ち上がる気力も無い。ただできる事は、朦朧とする意識の中で呼吸のために這いつくばるだけ。
 結局この戦いの顛末は、半殺しという宣言通りとなる。

 煉瓦通りは静まり返っていた。
 軽く空を見上げたが、もうハルはどこかへ去ってしまったようだ。

 アーノルドはトレインに歩み寄る。
 衝撃の余波を与えただけが幸いしたのか、目立った外傷は無さそうだ。直接な打撃ではないので内臓破裂の心配もないだろう。加減が上手く行ったらしい。
 結論、まぁ放っても死にはすまい。
 自分なりに安全を確認したアーノルドは、動かないトレインを尻目にこの場を後にすることにした。

 ジャリ。砕けた煉瓦を指でなぞる音。アーノルドは振り向いた。
 いつの間にかトレインは伏せた顔を上げ、父親の足元を睨んでいた。

「……死、な、せ、る、かッ」

 アーノルドは眉をひそめた。
 不審なのはトレインの言動ではなく、そもそも彼が言葉を発した事だった。
 確かに急所を避けるという手加減はした。ただし直後にお喋りを許すほど余裕を与えた憶えは無い。

 絶望的な力に破れ、倒れた息子は、地を這って何を訴えるというのか。
 情けを請う目はしていない。

 まさか。……まさか、まだ戦おうとしているのか。
 仮に己の手に銃があれば、己がまだ銃を握る力を残しているのなら、アーノルドがハルを狙うと言う限りは。

 一生もののトラウマになりかねない、かつての世界を震撼させた、あれだけの恐怖を刻み付けておきながら。

 決して、この意志は、負けない。

「おう、任せておけ」

(……?)

 耳に入る言葉がはっきりとわからない。
 ただトレインは、何か安心させる事を言われた気がした。

「テメェはいい加減、寝ときやがれ。親父の言いつけは守るもんだ」

 親父は、一体。
 そう頭の隅に言葉が転がった時、
 トレインの意識は急速に、深く落ちて行った。



*――――――――――――――――――――――――――――――*

後書き、注訳、感想はこちら
http://crystals.blog.shinobi.jp/Entry/228/
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Re: SPRING×SPRING * 2( No.90 )

日時: 2010/06/09 02:00
名前: はやおき
情報: p143.net220148053.tnc.ne.jp

久々に来たら過去ログ寸前だった
続き気になるなあ
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Re: SPRING×SPRING * 2( No.91 )

日時: 2010/09/03 20:44
名前: 黒猫
情報: p7190-ipbf302hodogaya.kanagawa.ocn.ne.jp

かなり久しぶりに覗いたら、上がってて更新されたのかと思ってしまった。
お久しぶりです、ってもう三年か……。
続きが読める事を楽しみにしていようかな。
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ブランド激安市場シャネルJ12( No.92 )

日時: 2017/09/10 18:02
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